いいかげんにしろよ、Nintendo。

僕がはじめてポケモンを持ったのは、3歳のころ。僕らの世代、僕の青春時代(とはいっても中学生ころまでだけど)は正に任天堂と一緒にあったといっても過言ではない。

当時ごつごつした筐体についた、まだモノクロの小さな画面に熱中した僕は、さながら旅人であった。ゼニガメとともに世界中を旅した少年。小さな世界を通じて、僕は確かに、サトシと同じ世界を見ていた。

その結果、幼稚園の授業参観で「将来の夢を発表しよう」という時間に周囲が「ケーキ屋さん!」「サッカー選手!」などと、それらしい答えを発表するなか、一人「ポケモンマスターになる!!」などとのたまい、保護者勢からの失笑をかっさらったことを、僕は今でも覚えている。(そして僕はいまでも、僕はその場における最もクールな回答をしたと思っている。)

その後の僕はもう、マリオやゼルダで旅を知り、ピカチュウげんきでちゅう、で愛を知り、カービィで夢を知り、どうぶつの森で生活を知り(まちの人との暮らし、家づくり、まちづくり、稼ぐということ、とか…。)、ドラゴンクエストや黄金の太陽で挑戦を覚え、ファイアーエムブレムで「育てる」ということを知り(かわいい女の子をめちゃめちゃ強くすることに全力を傾け)、PSOやマリオカートやドンキーコンガや、なによりスマッシュブラザーズでたくさんの友人をつくった。


( 出典:https://www.nintendo.co.jp/titles/20010000010867

Nintendoはゲームを通じて、ぼくたちに世界を教えてくれていた。挑戦を、暮らしを、教育というものを、恋愛を、ビジネスを、探究する喜びを、そんなたぐいの、この世界の全てを、彼らはゲームを通じて片田舎に住んでいた僕に伝えてくれていたのである。

Wii、Pokemon GO、Nintendo Switch、彼らの想いと挑戦はその後もとどまるところを知らず、ただ画面のなかの世界をこえて、暮らしを支え、現実世界においても視野を広げるきっかけを創り、新しいコミュニケーション、新しい文化すら生み出してきた。

 

Pokemon GOなんて、未来だった。僕らはついに僕らの世界のなかに、ポケモンを確かに見たのだ。

僕はこの動画を見ると泣いてしまう病にかかっていて(まじで)、初めて見たとき号泣したし、今も心から感動している、、、。

 

そして、Nintendo LABO。

彼らはずっと僕らに語りかけてきた。

 

「さあ、君にも仲間がいるよ!大事にしよう、一緒に、思いっきりあそべ!」

「挑戦しよう。一歩一歩踏みだせば、必ず夢は実現できる。」

「見てごらんよ!まち、海、山、砂漠。世界は君が思ったより、ずっとずっと広い。」

 

そしていま、彼らはついに、どうしようもない境地に足を踏み出そうとしている。

泣ける。自分で、新しいナニカを生み出せること。自分でつくったピアノを鳴らせるなんて。そんな夢のような話は、ある。

それが、Nintendo LABOだ。

Nintendo Laboは、段ボール製の工作キット。Nintendo Switchなどと組み合わせることで様々な遊びを実現する。動画でも、ピアノになったり、ロボットになったりと、多様なインターフェイスになる。

段ボールだから、自分で自由にデコレーションできるし、アレンジも自由。そして、仕組みがわかれば、自分自身で「あそびそのもの」の発明だってできる。

今回、彼らが僕たちに語りかけているメッセージは、簡潔で端的だ。そしてそれは、これからを生きる僕たちにとって紛れもなく本質的で、核心を突いたメッセージ。

 

「つくりたいなら、つくればいい。」

 

彼らは、やっちまっている。何がって、彼らがつくろうとしているのは「彼ら自身のような存在をつくる」しくみ。「つくるひとを、つくる」ということを、彼らは実現しようとしているのだから。

 

もちろん、前からその傾向はあった。昔から、それとなく「ゲームをつくることができるゲーム」を彼らは提案し続けてきた。しかしNintendo LABOが破壊的なのは、それが画面のなかにとどまらない、すなわち最高に自由な発明を促している、ということ。

僕たちはNintendoが試みてきた「画面から飛び出したあそび」そのものを生み出さないか、と勧誘されているのである。

つくるひとを、つくる。

ところで最近、僕は教育に携わっている。(ポケモンやテイルズやDQやFEのおかげだ、とまではいいませんが。)こどもの発想を中心にした探究型のまなびを通じて、「欲しい未来を自分で生み出せる」ようなまなびを実現しようとしている( https://www.facebook.com/halcampus/ )。

僕たちの理想形は良質なまなびをつくる人を生みだせる人を生みだす教育」。良質なまなびが常に再生産され続ける環境こそが理想だ。その意味で、Nintendo LABOはやっちまいつつある。これはきっと、理想形の試作品。

そして、つい先日、この記事を読んだのでした。

コンピューターが人間に勝つ時代の教育とは? 答えは超受験戦争地・香港にある
https://www.businessinsider.jp/post-159595

OECD加盟国の「15歳時点での学習到達度調査」で常時トップランクをキープする香港。その香港の、更にトップクラスの公立小学校「Baptist Rainbow Primary School」では、生徒が主体となってプロジェクトを進め、先生はそれを投資家やプロデューサーのように助ける形で教育を進めているという。

これから必要な教育は、アイデアを形にする力を育む「メイカー教育」だ、と著者は述べている。

ものを自分で考えて作るという行為にはそのすべてが内包されている。ぼくが見た香港の小学校ではそれがメイカー教育という形で見事に具体化していた。

ぼくは「未来は、自分の作りたいモノを作る人たち、つまりメイカーによって作られていく」と思っている。

Nintendo LABOじゃん。

Nintendo LABOが目指す、自分で発想し、自分でつくる教育。それこそが、これからの時代に必要な「実現させる力」を育んでいくのだ。

ほら、前から思ってたけど。
Nintendoはすぐそうやって、未来を勝手に楽しんで生み出して。

 

いいかげんにしろよ、Nintendo。

 

 

 

◯ Nintendo LABO Camp、が開催されるそうです。

https://www.nintendo.co.jp/labo/camp/index.html

Nintendo Labo Camp(ニンテンドー ラボ キャンプ)」は、『Nintendo Labo』の「つくる」「あそぶ」「わかる」の楽しさをいち早くご体験いただける体験型イベントです。 『Nintendo Labo』のコンセプトに共感いただき、体験を通じ世界中のみなさんに魅力を伝えるご協力をしていただけるご家族を募集します。 任天堂のスタッフと一緒にあなただけの「あそびの発明」を体験してみませんか?

◯ SONYもすごい良い。

実はこの分野ではSONYがすごい良くて、「プログラミング&実際につくる」な教育サービスを様々に展開しています。KOOVとか。toioとか。MESHとか。(その意味で今日のこの記事は、完全に僕の任天堂に対する愛です。)

>KOOV

僕も実際にKOOVを購入。これ、めっちゃ良いですよ。カワイイし、教育サービスとして、ものすごい作り込まれています。

KOOV
https://www.koov.io/

 

>toio

toioもすっごい素敵。
昨年出たばかりで、ずーっと売り切れが続いています。素敵だもんね…。

toio
https://first-flight.sony.com/pj/toio

 

>MESH

こちらは教育というよりは、より実用的に、僕たちが自由にプログラミングで身の回りを構築していけるツール。

MESH
http://meshprj.com/jp/