誰かが自由に幸せでいられるまちについて

こんにちは、森一貴です。
毎日、毎日、いろんなニュースが流れてくるけど、
こんなにいいことがあったよ、
こんな幸せがあったよ、
こういう素敵な人がいたよ、
そんな風でいれないかなあ、と思っています。

 
 
すこし、もやもやする話をみっつします。

ひとつめ。
昔の記事なんだけど、すごく鮮烈に覚えている記事があります。

http://grindpencil.tumblr.com/post/63124438753/3000人の署名より1人の苦情-パークが一つ無くなります

題名の通りの記事です。
実態はわかりません。そのパークに対して、苦情はもっともっとあったのかも。
でもそういうことではなくって、
俺がいやだなあ、と思うのって、きっとこういうことだ、
ってじんわり思ったのを覚えてます。
 
 
ふたつめ。
違和感を感じることがあります。

たとえば、LGBTのパートナー制度や、夫婦別姓に対する反対。
それによって誰が悲しむんだろう?少なくとも、僕は悲しくはならない。
そしてその制度があれば、きっと誰かが幸せになるんだろうなあ、
一体、それをどんな理由で反対しているんだ、と思います。

たとえば、大道芸やストリートライブの許可制。
大道芸やライブをしていて、喜ぶ人と、悲しむ人、一体どっちが多いんだろう。
めっちゃヘタな人が演奏している、
それで誰かはめちゃめちゃ怒るのか、めちゃめちゃ悲しいのかなあ。
僕なら、めっちゃヘタだなあ、とおもったあと、何事もなく通りすぎます。
うまい人が演奏している、
そしたら僕はわりと結構嬉しい。

たとえば、大震災の自粛ムード、すっごくもやもやした。
わかる、被災者の人たちが悲しいのはわかる、
それで、こちらが自粛するのってどういう理由なんだろう?

卒業式や卒業祝いがいくつもキャンセルされたり、小さくなったりして、
何人もの人が楽しい機会を逃しました、僕もその一人です、
飲食店や旅行業者も、いろんなキャンセルが入って、大変だったと聞きました。
それで、僕たちが楽しむことをやめて、かわりに被災者の方々は喜んだのかなあ。

もちろん、大震災が起こったからといって、それをあえて
楽しめ、騒げなんて言いたいわけじゃないけど。

でも俺だったら、
楽しいことをやめないでくれ、俺のせいでみんなが悲しい顔をするのはつらい、
みんな楽しい顔をしていてくれ、と、
俺だったら思う。
 
 
みっつめ。僕が好きな光景があります。

たとえば、電車の中での生演奏。
https://www.youtube.com/watch?v=1_9IMZcbKHQ
その瞬間、そこでしか起き得なかった風景がある!とか。

たとえば、second lineの風景。
https://www.youtube.com/watch?v=EG6KH905cGU
サイコーだ、と僕は思う。
なにより、これがニューオリンズの葬式の風景だというので、余計に。
人が死んで、そしたらまちには笑顔が溢れるようになっている。
 
 
うーん。
きっと日本は、「最小不幸を追求する社会」なんだろうな、って気がする。
悪くはない社会ではあるんだろうなあ、と思う。
誰か一人、「どこかの誰か」ががイヤじゃないためにがんばる社会。

でも、わざわざ、自分に関係ない誰かのことまで考えてあげて、
「もしかしたら、誰かがいやがるかもしれない」からやめよう、
ほんとうは自分自身は、楽しい、楽しみたい、好きだ、ハッピーだ、と思っているのに、
他の匿名の、いるか、いないかもわからない誰かはイヤかも、好きじゃないかも、へんに思うかも。
だからきっとこれはダメなんだ、楽しむのはやめておこう、そっとしておこう、
たぶん、もう無意識のことで、なんとも思わずにやっているんだろうけれど。

いいじゃん、と思う。
別に、自分がいいと思うなら受け入れればいいし、
よくないと思うなら選ばなければいいじゃん。
わざわざ、自分じゃない誰かのことまで無理して考えてあげる必要はないし、
ましてや、わざわざ誰かの楽しみに水を差す必要なんてないじゃん、と思う。

どうなっていたらいいのか、僕は正解を知らないけど、
もっともっと、みんなが自由に幸せになっていられる社会の方が
俺は好きだなあ。

自由にふるまう人が増えて、それを楽しんで見る人がふえて、
その偶然の出会いが、また何かもっとおもしろいことを連れてくるような、
何かがいつでも前向きに広がっていくようなかんじの。
 
 
ニューオーリンズに夢見ているのは、きっとそんな景色なんだと思う。
自由に幸せでいればいいよって、誰も邪魔しないよっていう、
「最大幸福を追求する」ような景色、
みんなができるだけ幸福でいられるようであろうよっていう景色。
おまえはそうなんだな。オッケーオッケー。
俺はこう思う、だからこーする。
別に、ニューオーリンズに行ったことはないから、
もしかしたらただの夢をみているだけかもしれないけど。
 
 
むちゃくちゃなことを言ってるのはわかってるんだけど。
早く、しあわせが数値で測れるようにならんかなあ、と思う。
そして、政治も行事も、日々の出来事もなにもかも、
より多くの人が幸せになるように選択できるような、
みんなが自由にふるまって、より多くの人を幸せにしていけるような世界になったら
いいなあ、と思う。

そんなのは、ひとを不幸にすることを厭わない危険思想だ!なんて
誰かがいうのかもしれないけど、
純粋に、ほんとうに自分のしあわせを追求するひとは、
たぶんもっとずっと人のことを愛していると思う。

わかんないけど。
いまの世界に、どれくらいそんな人がいんのか、
つまり、よりたくさんの笑顔のために、ある意味では嫌われる勇気のある人、
そういう人がどれくらいいんのか、俺にはわかんないけど。

 
 
道端で誰かがギターを弾いていて僕はパンデイロを持っている、
だから僕は彼と勝手にデュオをはじめる、
そして誰かが立ち止まると、誰かが踊り、歌いだして、
なんかいい感じに僕の見ている景色が楽しくなっていったら、
そんなかんじで幸せが増えていったら、
それがきっとほんとうに素敵で、
そして泣きたくなるくらい幸せなんだろうと思う。

 

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やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話
東大生は臆病なひとのあつまりって話
東京には何もない、という話

鯖江市・ゆるい移住ブログ
岸見一郎「嫌われる勇気-アドラーの教え」

 

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やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」
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やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」
あなたに読んでほしい。「問題意識」と「やりたいこと」を切り離してほしいという、大事な記事です。
東大に入ればなんでもできると思っていたかつての私に向けて(外部サイト)

投稿者:

森 一貴

山形県出身、東京大学教養学部卒。コンサルティング企業にて勤務後、鯖江市ゆるい移住に参加。現在、考える力を伝えるプロジェクト「CUE」代表。

「誰かが自由に幸せでいられるまちについて」への3件のフィードバック

  1. 日本は➖の気持ちを重要視する国ですよね。➕の気持ちには否定的ですよね。多分戦時にできた文化なんでしょうかね。象徴的に日本の生徒はよく「遊んでましたすいません」って言います。

  2. 今までの記事で最も共感した。
    私、最も日本人らしい日本人だなあと思った。
    最小不幸を追求する人間。

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