セックスを拒絶する若者たち──アロマンティック・アセクシャル
http://wired.jp/2016/05/08/aromantic-asexual/

いいかげん、名前をつけるのやめたら?と思う。

 

既成概念は3つのステップで瓦解する。これは僕の持論。
これ、割といい考えだと思っているので、ちょっと紹介します。

 

例えば、
「性的関係は男女間でもたれるべきだ」という既成概念があるとする。

STEP1:対の提示
これに対して、LGBTはその対極を提示する。
ここでは、「性的関係は男性間でもありうる。女性間でもありうる。」
まず、ここで「一般人」とマイノリティ間で衝突が起こる。

STEP2:間の発生
衝突が起きると、大衆の間に、マイノリティに対する認知が発生する。
すると、「間」が発生する。
例えば「私は相手、女の子でも男の子でも大丈夫だよ〜」とか。
「てか、俺は複数人でも大丈夫だよ〜」とか。
マイノリティの存在の認知によって、これまで潜在マイノリティだった人々が顕在化する。

この「間」というのは、はじめはいろいろな名前がつけられる。
例えば、「ポリアモリ」なんかは性的関係のスタイルの一つとして最近知った言葉。

名前は、無数に生まれる。ここまでくると、「一般人のスタイル」にすら名前がついてしまう。
女性同士での性的関係を持つ人、男性同士での性的関係を持つ人、
どっちでもOKな人、性行為自体に価値を見出さない人、
別に何もかも自由なスタイルな人、そのあたりを組み合わせて全てに名前をつけようと思うと、
名前は無数に生まれうる。

STEP3:概念の瓦解
すると、名詞の価値は失われる。
これまでの様々な呼称は意味をなさなくなり、
大衆に「性は自由だよね〜」という認知が形成される。
そしてマイノリティは大衆に同化する。
ここではじめて、マイノリティはマイノリティでなくなる。

これ、もしかしてアウフヘーベンの話と同じなのだろうか?
詳しい人、教えてほしいです。

 

だから何って話なんだけど、
要は、冒頭の記事を読んで、
セクシュアル・マイノリティに関する潮流は
このステップを忠実になぞっているなあ!、と思ったという話です。

この瓦解プロセスは色んなところで起きてはいると思うのだけど、
最近これが意識的に起こされているのが、鯖江の「まちづくり」の現場。
ゆるい移住やJK課もそうだけど、
「まちづくり専門家/プロ市民」に対して「ゆるい市民」が定義されて、
いま、その間が生まれてきている段階なんだろうなと思う。

 

この調子でいろんな既成概念がぶっこわれていけばいいと思う。