伝統を大事にしてそして衰退するあるお祭りの話

ある地方の祭りを見に行った。どちらかといえば内側の人間として。

その祭りの山場である舞いは「忍耐」をその美徳の軸に置いているらしく、
とにかくゆっくり舞われる。そして、それを繰り返す。
すぐに答えを求める性急な僕にはあまりに退屈な見世物だった。

 

退屈だ、のほかにも、もう少し感想を得た。それは、地方の祭りは、お役目が多くて大変だなあ、ということ。
もっともっと色々あるような気もするけど、
特に祭りの専門家でもないので、自分が感じた「お役目」を2つ簡単に概観する。

ひとつ目は、地域コミュニティの形成・確認としての役割。

いくつかの露天が出店され、こんなに子どもいるんだっけ、というくらいには、子どもや若い夫婦が来ていた。
彼らは、舞はメインの部分だけちらっと見た後、露天のまわりでゲームをして遊んでいる。
若者、いるんじゃん。と思った。こうして集まれる機会があるのは、いいなあとも。

この行事の準備や予行演習を通じて、または実際に祭りに集まることを通じて、
いわゆる「地域コミュニティ」の形成がおこなわれていることは分かった。
その部分は疑問の余地はない。
僕もかくして地域の打ち上げに参加し、みんなに顔を知ってもらい、地域に溶け込めた…?かは疑問だけど。

 

ふたつめは、歴史を今に伝える学術的価値。

この祭りは、歴史的にもものすごい価値があるらしかった。
ここまで形式を変えず、もう1000年近く舞いは続いている。
教授や研究者の類も数人きていて、そんなようなことを切々と語ってもらった。

お祭りの方も、こんなに重要な任務を2つも負ったら、
そりゃ肩の荷が重いだろう。

 

「地域コミュニティの形成・確認」と「歴史を今に伝える学術的価値」。
あまりに一緒くたにしないほうがいいんじゃないかなあ、と思った。
両立しない。

祭りの主体の担い手不足・高齢化は深刻なようだった。
舞えるのは結婚する前の青年のみ、1人1回限り。そんなしきたりもずいぶんあったようだけれど、
もうだいぶ廃止されて、何度も舞っている人もいれば、結婚してウン十歳という年で舞っている人もいる。

それはきっと「伝統を守る重要性」とかいう、無意味なことにコストを使いすぎてしまっているのだと思う。
早く切り分けたほうがいい。そして「学術的価値」の方は早く諦めたほうがいい、と僕は思う。
簡単に言えば、その退屈な形式、早くやめたら?ということ。

 

果たして、人間は傲慢だ。
「この行事は素晴らしい!絶対後世に残してね。」
「じゃあ、あんたがやりなよ。」
「いや、俺は鑑賞したいだけだ。」
「そんなの、俺たちだってそうだよ。」
…研究者と地元民の間で、心のなかでこんなやりとりが交わされているような気がする。

ぽろっと僕に本音をこぼした人がいた。
「いやあ、まあ実際、毎年毎年面倒だけどね…。」

祭りの準備は一ヶ月以上前から行われる。
舞い手に至っては、ひと月前から、毎晩毎晩遅くまで舞いの練習を行うそうだ。毎日の仕事があるにも関わらず。
担い手がやりたくないものが、廃れていかないわけがない。

ましてや、ある地区では、月の町内会費が10,000円である。
年会費じゃない。月会費がである。祭の維持費なりで金額がかさむらしい。
非現実的だ。高くたって3000円が関の山だろう。
今の時代、田舎の民家だったら、家賃10000円で住める家は無数にある。
そんな片田舎で、町内会費に10000円を払う人がどこにいるのだろうか?

しかもそれで実現するお祭りが、楽しくてしょうがないものなら我慢のしようもある。
けれど、先も言ったとおり、退屈で、担い手自体に大きな負担がかかっている。
そんなことをしていて、「にぎわい」が減らないほうがおかしい、と思わないのだろうか?

 

一方で、歴史的価値にどれだけの意義があるのか?
歴史的価値を重視した結果、祭りの担い手が減るのは、それはそれでいいのだろうか?
(人口減とまではさすがに言えないけど)

僕は、祭り自体をやめろと言っているのではない。
歴史的価値=舞いと、社会的価値(地域コミュニティ)=祭りは切り分けて、
歴史的価値にこだわるのはやめたら?、という話をしている。

祭り自体はコミュニティの形成・確認に寄与している。それは体感としてわかった。
でも、コミュニティの形成・確認に貢献しているのは、「舞いそれ自体」ではないだろう。
祭りという形式(地域みんなで準備するとか、みんなで1か所に集まって騒ぐとか)のが重要であって、
そうであるならば、負担のかかる「舞い」の方に社会的価値はない。

もし地元の人に連綿と、名実ともに愛される行事を作っていきたいなら、
全ての担い手を失う前に、早めに決断した方がいい。
歴史の方は、早めに歴史センターの動画コーナーにでも押し込んでおけばいい。

そして祭りという入れ物はそのままに、
いっそ割りきって、各地で行われているよさこい祭りのように
派手さ・簡易さを取り入れてしまうべきだと思う。

僕の地元である山形には、徳内まつりという祭りがある。
今では露天も数多く並び、「伝統行事」みたいな顔をしているけれど、
始まったのは平成7年のことだという。
地域の人が楽しいと思えるような「新しい伝統」は作れる。
(地域のお年寄りがどう思っているかは知らないけれど、
 少なくとも18年山形に住んでいた僕の目線で言えば、徳内まつりは楽しい、という思い出はある。)

むらやま徳内まつり
http://www.murayamatokunai.jp/rekisi.html
(公式ウェブサイトのひどさ、山形らしくてなんとなく安心する)

 

同じような問題は各地で起きているような気がする。
きちんと現状を切り分ければ、本当に大事なものが何かなんてすぐにわかるはずだとも思う。

歴史の保存を軽視しているわけじゃない。町にとってどちらが大事なのか、どちらをとるのか?という話。

 

ちなみに、更にもう一つ「観光資源としての祭り」という側面もあって、
その観光資源化した場合の匿名性と、住民が守り続けてきた非匿名性との衝突については色々考えるところがあるな〜
と、思ってます。

 

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投稿者:

森 一貴

山形県出身、東京大学教養学部卒。コンサルティング企業にて勤務後、鯖江市ゆるい移住に参加。現在、考える力を伝えるプロジェクト「CUE」代表。