「音楽はふつう、四拍子だ」と信じていること。

こんにちは、森一貴です。
今日は、音楽の話もそうなんだけど、
私たちは、想像以上に「誰かが決めた普通」とやらにとらわれている、という話をします。

音楽って、なんなんでしょう、と時々思います。

音楽というものは、ふつう、四拍子あるいは三拍子で、
四小節とか八小節くらいで、だいたいひとまわりが終わり、
AメロとBメロとサビがあって、日本の曲ならそこにCメロと静かなサビが入った後に大サビがあったりする。

とかいうことを、いったい誰が流行らせたんだろう?
と、すごく思うんです。
私は想像以上に自然に、四拍子が当然だと思ってしまっているようで、
それ以外の音楽を聴くと、アレ、おかしいな?なんて思ってしまう。
一体それは、誰がどうやって、私にすりこんだんでしょう。

「普通じゃない」日本の音楽

突然、なんの話だ、と思う方も多いかもしれません。
以下に動画を3つはります。よかったら、触りだけ少し聞いてみてください。

①三橋美智也 炭坑節
https://www.youtube.com/watch?v=JDzognQjjmw

聞いてもらって分かる通り、この曲は
「四拍子で、四小節ごとに区切れている」ような音楽じゃない。
もう、全然数えられません。(7拍子かな?)
そして、この炭鉱節は盆踊りの音楽として
「日本中で愛されている」曲です。

次の動画は、上記の曲の盆踊りの振り付け。
手拍子をしてみて、いくつ叩いたら踊りが一周するか、確認してみてください。
②炭鉱節 振り付け
https://www.youtube.com/watch?v=7UWGPbkJLJI

踊りが一周するのに、「13拍」です。

どうですか?「7拍子の音楽に13拍子の踊り」が伝統になっている日本人。
なんてプログレッシブなんでしょう。惚れ惚れしますね。

  
もう、言う必要もないかもしれませんが、
駄目押しでもう一つ。

③雅楽:越天楽
https://www.youtube.com/watch?v=kx1uw4n575M

これは、宮中で演奏され、今も宮内庁に伝わる
「日本の伝統音楽」です。

普通の音楽と普通じゃない音楽

もう言いたいことには気づいてもらえているんじゃないかなあ、と思います。
日本にあった「普通」の音楽は、四拍子でも、四小節区切りでもない。
ましてや、雅楽に至っては、拍すらない。

私の日本人としてのバックグラウンドは、
そういう音楽によって成り立っている「はず」なのです。
なのに今、炭坑節を聞きながら、四拍で一小節じゃないことに違和感を覚えている。
そう、つまりいまや、日本の音楽は私にとって「普通じゃない」のです。

いまの音楽の世界では、
本当は普通じゃないのに、「普通」だとされていることが、
本当にたくさんあるなあ、と感じています。

例えば、1小節の中で、拍の長さは一定だということ、
テンポは変わらないということ、
ドの次はレだということ。
簡単にみんな、それを「当たり前だ」というのだけれど、
世界中にある音楽を平均してみれば、ほんとは全然普通じゃないんだそうです。

そのみんなが言う「普通」は、
全て西洋のある地域のある時代という、
とっても特殊な状況で作られた理論にもとづいています。

それを私は、教育を通じて、なんの疑問も抱かずに、受け入れ、
音楽ってこういうものだよねえ、と無意識に思い込んでしまっている。

普通ということ

私はそのことを、怖い、と思うのです。
「この音楽は普通だ」と思ってしまっていることを、とても怖いと思うのです。

だって、盆踊りの音楽を聴くまで、まったくそれに気づいていなかったのです。
四拍子じゃない曲を聞いたら、変だなあ、雅楽を聞いたら、古いなあ、
そう思ってしまっていた自分は、
単に「西洋の音楽理論の視点」からものを見ていただけなのです。
  
ここで言いたいことは、
誰かが決めた「普通」があることによって、
そうでないことは普通でなくなってしまう、ということです。

例えば、いま私が知っている「普通の音楽」が全てだった時代は、
炭坑節なんて聞けませんでした。なぜなら、聞いていて落ち着かないからです。
なんで小節ごとに拍が変わるんだ、こんな音楽は「普通じゃない」。

そして「普通」があることで、現状の日本の音楽業界は、
ほとんどがこの、ドレミと、四拍で一小節と、Aメロ・Bメロ・サビとかいう
「普通の枠組み」の音楽になってしまう。

  
でも、「普通」とは、「誰かが作った、西洋の音楽用の理論」だ、と気づければ、
炭坑節は、別の視点から見れば「とても普通」なのだと分かるし、
曲作りも、テンポは揺れてもいいし、拍数は一定でなくてもいいし、ドレミでなくてもいい、
全く新しい視点で生まれてくることができるんじゃないかなあ、と思うのです。

  
私が今、音楽の話をしてる、と思ってほしくない。
私が言いたいのは、
私たちは、想像以上に「誰かが決めた普通」とやらにとらわれているんだなあ、ということです。
そしてそのとき「普通」というものは、
私たちにとって「ルール」みたい顔をしているなあ、と思うのです。

例えば、結婚していたら、浮気をしてはいけない。
男だったら、男を好きになるのはおかしい。
大学を出たら、新卒で会社に入らなければいけない。
本当にそうなんでしょうか。一体、それは誰が決めた「普通」なんでしょうか。
そしていつのまに、その「普通」は「ルール」になってしまったんでしょうか。

私たちは社会から、これがあたりまえだと言って、
無限の「普通」を、抗うこともできない間に、
どんどんと手渡されているような気がします。
そしてその普通を、私たちは何も考えないで、生きる前提においてしまう。

そこで、誰かがもう少し違和感を持ってくれたらなあ、と思うのです。
たまに「あれ?なんかおかしいなあ」って思うその時、
これって、本当に普通なんだっけ?って、少しでも勘ぐってみること。

それができれば、もう少しいろんな人が自由に生きられるんじゃないかなあ、
わからないけれど、時々そんな気がします。

  
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冒頭、こんな問いかけをしました。
「音楽って、なんなんでしょう?」
私が言うのもおこがましい話なのですが、
個人的には、ひとつの答えを持っています。

バンド・SEBASTIAN Xの永原真夏さん(人間として尊敬している人です)が、
こないだ、イベントで言っていたこと。
「私は、音楽をしているつもりはない。ただ、伝えているだけ。
 『ありがとう』ひとつとっても、
 ぶっきらぼうに言う『ありがと。』と、心を込めていう『ありがとう!』では、全然違う。
 その、大事な言葉をただ普段通りに音に乗せているだけ。
 だから、私がやっているのは音楽じゃないと言いたい。」
全然正確ではないんだけど、こんなかんじのことを言っていました。
これって逆に言えば、
「音楽じゃない」ことでも、言葉は、あるいは感情は、
いつのまにか「音楽になってしまう」んだろう、と私は思っています。

つまり、私が、嬉しくって飛び跳ねる、
楽しい気持ちが声に出る、悲しい気持ちが音になる、
そこにある感情、
音楽っていうのは本質的にただそれだけなんだろうと思うのです。
「ドという音があり、拍というものがあり、小節があり、テンポがあり」なんてことは、
まったく音楽をしばるものではないはずなんです。

音楽の上に積み重なったいろんな機能や、規制や、名前や、普通、
それを私は、きちんと感じていたいなあ、と思います。

本当はきっと音楽以外のことだろうと、
一番深いところは、これくらい素直で、
シンプルな形なんじゃないかなあ、と思っています。

  

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投稿者:

森 一貴

山形県出身、東京大学教養学部卒。コンサルティング企業にて勤務後、鯖江市ゆるい移住に参加。現在、考える力を伝えるプロジェクト「CUE」代表。