自分でロジカルシンキング講座など開いて、
ゼロベース思考だ、何事もゼロベースで向き合えなどと言っておきながら、
最近、ああ、まだ何もゼロベースで考えられていなかったなあ、
という体験を(結構前だけど)したのでメモしておく。

 

元ゆる移メンバーと話していて、
なぜ私たちは、電気やガス、水道、ネットなどを

「無意識に契約してしまっているのか?」

という話になった。
当たり前すぎて無思考になっているとしたら、
それはあまりに怖いことだなあ、と思う。

ゆるい移住は、資本主義的な価値軸上で言えば、果たしてビンボー人の集まりに違いなく、
(尊大な言い方をすれば)「ローコストで循環主義型の社会の成立」を目指した試みであったとも言えると思うのだけど、
そんな、コストをどれだけ削減できるかに心を砕いていた私たちが、
まさかその主要なコストを担う公共料金に対して目が向かなかったのは、
私たちの「ゼロベース思考のできなさ」を嘲笑われているような気さえした。

 

坂口恭平の「独立国家のつくりかた」という著作がある。
名著である。
現代の電気やガスや水道に対して、
あるいは不動産という概念に対して、
真っ向からゼロベースで向かい合い、実践を続ける著者の思いが
ぐいぐいと四方から、現代の仕組みに巻かれてしまった私を串刺しにしてくる。

CUEで皆さんにお伝えしている「4つの基本的な思考法」のうち、
「レイヤー思考」という思考法がある。これは本書から頂いている。
実に示唆と実用性に富む言葉だと思う。

 

さて、そこで語られていたのは、ホームレスの事例である。
ホームレスは、言ってしまえばある種、
コスト0生活を目指すゆるい移住の、もしかしたら一つの理想形なのかもしれない、というわけ。

彼らは、小さな太陽光発電機を使って(それで必要十分なので)電気を作り、
公園の水道で水を調達し、
ガスはもちろん不要であって、
そんな生活を送っている。

彼らのレイヤーから見れば、まちは宝の山。
食べ物はいくらでも手に入るし、
換金できるものも、いくらでも手に入るという。

 

その視点と比較して、
なぜ私たちは電気を契約しなければならない?
水道をひかなければならない?
ガスをひかなければならない?
ネットを契約しなければならない?

あるいは、なぜ不動産も、わざわざ登記しなければならないのか?
なぜ賃貸でも、きちんと契約して、
なんだかどんどん面倒に面倒にことが進んでいるような気がする。
(土地は誰のものでもない、というのは坂口恭平の論である。)

もちろん、それはそれで、万が一の場合を考えれば、
最終的に円滑な形式の一つなのかもしれないけれど、
そこになぜ自由はないのか?

 

果たして、そこから抜け出ることは、どうやら可能そうである。
坂口恭平の著を読めば、不動産との面倒も、逃れる術はありそうだ。

 

ちなみにこないだ、西野亮廣がおもしろいことを言っていた。

「そうかあ、だめなのか、じゃあ、どうしたらできるんだろう?」
なんて美しいんだろうと、嘆息さえしてしまうような思考の流れ。

もちろん、タイニーハウスやスモールハウスなんかは、
そろそろ常識になりつつあるのかもしれないけれど。
(「未来住まい方会議」なんかはずっと追っていて、ずいぶんと「住まい方の未来は広い」んだと、毎回驚かされている。)

私たちも、徐々にそのスタイルが常識化していくだろう。
不要なコストを払うほど、現代の私たちは無能ではないだろうから。

 

より詳しい実現案については、同居人を待とうかな。