誰かが自由に幸せでいられるまちについて

ニューオーリンズに夢見ているのは、きっとそんな景色なんだと思う。
自由に幸せでいればいいよって、誰も邪魔しないよっていう、
「最大幸福を追求する」ような景色、
みんなができるだけ幸福でいられるようであろうよっていう景色。

やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話

でも、僕には別に「やりたいこと」なんてないのだ。将来どうなりたいか?っていわれても、将来どうとか、知らないわ、と思う。でもとりあえず、いまも、みらいもずっとただ「しあわせ」でいたいなあ、と、そう思います。そんな僕にとってのしあわせって、「いま、こうでいたい」が満足しているかどうか、なんじゃないでしょうか?

ハロウィンの渋谷が節操ない!とかっていうひと

「子どもになんの罪があるっていうんでしょうか。子どもたちにゴミを拾わせて」
と思ったのは誰なんだろうなあ。
「ゴミを拾う」ことは子どもにとって罪ほろぼし並にツラいことなんだろうか?
子どもたちはゴミを強制的に「拾わされて」いるんだろうか?
子どもを「かわいそう」に仕立てあげたのは一体だれなんだ?と俺は思う。

「あれ?なんか話が噛み合わないなあ」と思うとき。

「生きる定義」を考えるステージの人には、HOWの情報はいらない、結局、このタイミングで情報を受け取っても無駄になっちゃう。
そういう「ステージがずれてる」のって、聞いてるのもシンドイし、話してる側からしてもタメになってないのではさみしい。でも、ずれてるってことが世の中では往々にしてあるなって思う。