「余白」がまちづくり自体にあればいいなと思うんです。でもそれは、しかける側としては、余白がある状態で世の中に出す「勇気がある」っていうこと。
その中に、どんな仕組み、核をつくるかっていうのが、しかける側として、これから私が一番考えていかなきゃいけないところだと思ってます。
今の日本では、「学ぶモチベーション」は、教育者側が「醸成できるか、醸成できないか」ではなく、その生徒自身が「持っているか、持っていないか」だとされているような気がします。教師側は、よい授業を提供しさえすればよい。それで伸びないなら、それはその子ども自身の責任であると。