僕たちは、僕たちの偏りに、どれだけ気づけているのだろうか?

例えば、こんなクエスチョンを考えてみます。皆さんはそれぞれ、どれくらいだと思いますか。

  • 日本の大学進学率は何%?
  • 30〜34歳の年収の中央値はいくら?
  • 25〜29歳の女性のうち、非正規労働は何割?

実際の数値を見てみます。

1.大学(短大を含む)への進学率

大学(短大を含む)への進学率は、約58%(2018年度)。今のいわゆる「大学生くらいの年齢」の人のうち、10人に4人は、大学・短大に行っていない

引用)ガベージニュース「大学進学率をグラフ化してみる」 http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html

2.30〜34歳の年収の中央値

30〜34歳の年収の中央値は、370万(推定値)。月25万くらい+ボーナスのイメージか。

引用) http://utukabu.com/post-343/

3.25〜29歳の女性のうち、非正規労働の割合

25〜29歳の女性のうち、非正規労働の割合は3割。専業主婦等は含まずです。”雇われている人”のうちで非正規労働が3割いる。その割合は年齢に比例してあがり続ける。

引用元によれば、平均して男性21.2%・女性55.3%は非正規。

引用)ガベージニュース「男性21.2%・女性55.3%は非正規…就労者の正規・非正規社員率をグラフ化してみる」 http://www.garbagenews.net/archives/1954673.html

twitterから見る参院選と、twitterから見ない参院選と。

答えを見て、想像と全然違ったと思うなら。それは相当、相当に僕たちが偏っている証拠なのだろうと思う

情報入手ツールが分断されているいま、僕たちは、他者を想像する機会そのものを失いつつある。

僕たちのすぐ隣にいる人々が、日々どう生き、誰とどんな会話をし、何を悩み、何を喜びに思い生きるのか。僕たちは、わずかでも、理解できるだろうか?

僕が最近、本当に恐ろしいなと思ったこと。

ひとつ。僕は「パプリカ」という曲を知らなかった。地域の人に「まちの人はみんな知ってるよ。保育園児もみんな歌って踊れるらしい」と教えてもらう機会がなければ、きっとずっと知らないまま終わっただろうと思います(ちなみにみなさん、この曲を知っていたでしょうか。米津玄師が作曲した、2020年東京オリンピックの応援ソングとのこと)。こちらは蛇足。

もうひとつ、大事なほう。参院選に湧くtwitterを見ていて思ったこと。

7/21、参院選が終わりました。SNS上では、多くの著名人やインフルエンサーが投票を訴え、改憲反対を訴え、消費税増税反対を訴えていた、と僕は感じています。

そしてその結果、twitterに住んでいた僕たちは(個々人の支持政党は別にして)、「この世の人はみんな投票にいくし、みんな改憲反対で、みんな野党に入れる」と、どれだけ、どれだけ思い込んでいたでしょうか。

実際の参院選の結果。与党・自公の獲得議席は71議席。野党の獲得議席は53でした。さらにもうひとつ伝えておきたいのは、その野党の議席数に貢献したのは、僕らと同世代の人々であった可能性が、かなり高いという事実です。

少し前までの世間のイメージは、”若年層と高齢者層の対立”という構図であったような気がしています。しかしtwitterにいる僕たちは、”与党を支持する、6割に迫る20代男性”のことを、すぐとなりにいる確かな存在として、感じることができていたのでしょうか?(※念のため。対立を煽りたいわけでも、野党支持を主張したいわけでもありません。)

そして投票率は、48.8%。年代別の投票率はまだ出ていないようですが、20代はおおまかに、ここから「20ポイント下回る」といいます。きっと今回の参院選。20代の投票率は、30%を下回るでしょう(下記は参考)。

引用)総務省「国政選挙の年代別投票率の推移について」 http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

twitterで過ごしていて、人たちの思想や言動が、本当に偏ってきているのを感じる。”投票にいこう”なんて、twitter上だけの出来事だと考えても、きっとおかしくなかったのです。

日本人のtwitter利用率は、3割ちょっとだといいます。(AMP「Twitterの利用率は3割弱。”リアルタイムでの情報収集”が主な利用目的」
https://amp.review/2019/01/16/twitter/)

そんな内輪のなかで、いくら投票を叫んでも、届かない人が本当にたくさんいます。政治のことなんてわからない人が、投票日も知らない人が、たくさんたくさんいるのです。

そんな現状を忘れて、twitterの情報ばかりに偏ってしまう僕自身のことを、僕はとても、とても怖いと思う。

偏りすぎた僕たちへ

社会に分断はある。

それを知っている人はたくさんいる。けれど、その分断が具体的に、どれだけ分断されているのか。自分は一体、どんな風に偏った側にいるのか。もう少し僕たちは想像してみてもいいんじゃないかなと、僕は思う。

あるいは、そんな自分のすぐとなりに暮らす、自分からは見えないある一人の人のことを思うとき。もう少し日本は(あるいはtwitterは)、優しくなれるのかもしれないと思っています。

“僕たちのすぐ隣にいる人々が、日々どう生き、誰とどんな会話をし、何を悩み、何を喜びに思い生きるのか。僕たちは、わずかでも、理解できるだろうか?”

僕たちは、僕たちの偏りに、どれだけ気づけているのだろうか?