こんにちは、森一貴です。

今日は、本気で誰かが幸せになればいいな、と思って記事を書きます。やりたいことがない、と悩んでいる就活生や社会人、教育などの領域で人を後押しする人などに読んでいただけたら、と思います。

 

さて、世の中、やりたいことがないと生きづらい世の中だなあ、と思っています。

学校では「将来なにがしたいのかな?人生設計してみよう!」
就活では「ウチでなにがしたいの?」
働いていれば「最終的な君自身のゴールを考えるんだ!」

なにそれ。ほっといてくれよ、と思う。やりたいことなんてない。幸せに生きられたらそれでいいのに。やりたいことがない。それじゃ、だめなんだろうか?

このことについて考えるとき、僕は僕自身の就活を思い出す。「君と話してても、ウチでやりたいことがイマイチ見えてこないんだよね~」と祈られる日々。

そりゃそうだ。だって、やりたいこと、ないんだから。というかそもそも、働きたくない。だからなに?と思う。別にやりたいことないけど、俺めっちゃ仕事できるし。粛々と仕事して、会社にちゃんと貢献するよ。採用してくれたら絶対損させないよ。

でも世の中、やりたいことがない人よりも、「やりたいことがある」人のほうが、断然うまくいくようにできてるみたいだ。

やりたいことがある人たちと、僕は、ちがう。

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目標に近づいてる感がしあわせだ、というひとがいる。

そして僕は就職し、働いてみて、ふと思ったんです。

「やっぱり、やりたいことがない、って、めちゃくちゃ普通なんじゃないか?」

考えてみると「やりたいこと」がある、というひとと、やりたいことがない僕の生き方って、結構ズレてる気がする。

具体的にそのズレってなんなんだろう、って思いを巡らせてみる。「やりたいこと」タイプのひとって、まず「俺はこうなりたい!これをやるんだ!」っていう夢があって。それに対して、「近づいてる感がしあわせ!」っていう考え方なんじゃないかなあ。

でも、僕には別に、近づきたい「やりたいこと」は、ないのだ。

やりたいことはない。将来どうなりたいか?っていわれても、将来どうとか、知らないわ、と思う。でもとりあえず、いまも、みらいもずっとただ「しあわせ」でいたいなあ、と、そう思います。

そんな僕にとっての「しあわせ」ってなにか?

それって、目標に対して近づく・遠ざかるっていうよりも、自分が「いま、こうでいたい」が満足しているかどうか、なんじゃないでしょうか?

やりたいことなんて、なくてもいいんじゃないか?

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例えば。やりたいことがない僕のような人でも、5年後にこれをやる!と将来の目標をたてたとして、「そのために1年後にはこうなりたいから、1ヶ月後にはこれをしてるべきで、だから今日はこれをする!」という計画を、たてることはできる。頭でも理解はできる。

でも、それは僕の「いま」に関係ない。僕にとっては計画なんて、ここではないどこかの話で、そんなこと、やりたいことじゃない。そんなことをいくらやっても、しあわせにはならない。

その代わりに僕にとって大事なのは、僕にとってのしあわせ」に、できるだけちかい状態でありつづけることだ

僕にとってのしあわせ、つまり、愛する人といること、ライブで盛り上がること、友だちとバカな空想を夜更けまで議論すること…。これって「いつかこうなっていたい」わけじゃないんだ。

いま、それをしたいのだ。そして、それがずっと続けばいいと思うのだ。

 

そこで僕は、ようやく気づいた。

世の中には、
「やりたいこと」タイプのにんげんと
「ありたいすがた」タイプのにんげんがいるんじゃないか?

やりたいひとと、ありたいひと

成功するのに、目標はいらない?

そんなことを考えていたら、一冊の本にめぐり逢いました。

表紙がポップ、かつ題名も微妙にうさんくさくて、買うときはちょっと躊躇する一冊ですが。読み終えて、自分の生き方を考える上で大事な軸になった本になったな、と思っています。

この本で平本さんは、「この世には、『ビジョン型』と『価値観型』の二種類のひとがいる」と言っています。

ビジョン型は、目標に対して近づいてる感をしあわせと呼ぶ。
価値観型は、自分の価値観が満たされている状態をしあわせと呼ぶ。

あら!俺の「やりたい/ありたいタイプ」と同じだ。

平本さんが言うには、日本には「価値観型」が多いんだという。価値観型のひとでも、成功している人はいる。価値観型のひとが成功するためには、「目標はいらない」のだ、と言ってくれている。

「ビジョン」とは別の考え方として「価値観」というものがあるんだ、ときちんと言語化された文章に、私は初めて出会いました。

加えて、この本のいいところは、「君は価値観型だよね。だから自分らしく生きればいいよ」なんて、放り投げていないところ。いまの社会は「やりたいこと」重視だ。じゃあ、そんな現代社会で、「やりたいことがない」人はどう生きぬいていけばいいか。そこまで、平本さんは丁寧に書いてくれている。本当に貴重な本だと僕は思う。

やりたいひとと、ありたいひと

やりたいタイプとありたいタイプで、しあわせに対する捉え方って全然違うんじゃないかな、と思って描いた図がこれです。

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「やりたいこと」タイプはゆめとか目標とか理想に対して「ちかづいている感」が幸せになります。だから、目標を定義して、それに対して向かっていく「矢印モデル」になる。これは、すごく登山に似ている。

そこには、山頂という「目標」があるから、どうやって近づくかという「計画」という考え方があるし、どれだけ近づいたかっていう「進捗」という考え方があるし、それを阻まれるという「挫折」という考え方があります。

一方、「ありたいすがた」タイプは、自分の価値観の「満たされている度」がしあわせです。そして、それがずっと続いていったらいいな、と思っている。それは、図のような「円柱モデル」で表される。見てわかるとおり、そこには、計画も進捗も挫折も、ないんである。

就活で「挫折経験」について聞かれて、「挫折ってなんだ!!挫折なんてしたことない!!」と思ったのは、偶然じゃなかった。私はありたいひとだから、挫折なんて考え方自体が、自分のなかにそもそも存在していなかったのです。

自分の「ありたいすがた」を知っていますか?

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あなたの「ありたいすがた」はなんですか?

やりたいこと/ありたいすがたの図を描いてみて、ああ、と思ったことがある。それは、すごく大事な気付きでした。

やりたいひとたちは「やりたいこと」を決めて、そのあと、いまのじぶんとの差を見極めて、アプローチを考える。それによって、少しずつ目標に近づいていくのです。

では、ありたいひとたちは、何を決めてきたのでしょう?

そう、この世の中は、全員が「やりたいひと」だという前提でつくられてしまっている。だから、「あなたのやりたいことは何?」と聞かれることはあっても、「あなたのありたいすがたは何?」と聞かれることは、これまでなかったんです

やりたいひとたちは、「山頂」を見定めて初めて、そこに向かうことができます。

それなら、ぼくらのような「ありたいひと」も、自分がどうなったらしあわせなのかを決めなくちゃいけないでしょう。

「ありたいすがた」を定義しないと、それを満たせるわけないじゃないですか。自分のしあわせがわからないのに、どうやってそれを満たせばいいんでしょうか?

そりゃあ、転職したり、移住したり、専業主婦になったりして、思いがけぬ偶然で自分の「ありたいすがた」が満たされる可能性はある。

でも、自分のありたいすがたを分かって何かを選択するのと、分からないで選択するのでは、きっとその後のしあわせは、全然違うはずんじゃないでしょうか。

「ありたいすがた」があれば、「やりたいこと」はうみだせる。

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今の「やりたいのがあたりまえ社会」では、僕らは
「①きみは何がやりたいの?
じゃあ、②それってどうやったらできるの?」
と、問われます。

でも気づいたのは、私の順番はそうじゃないんだ、ということです。
「そもそも、①どういう状態だったらきみは幸せなの?
そして、②それって何をやってると満たせるの(≒きみは何がやりたいの)?
じゃあ、③それってどうやったらできるの?」
私は、この順番なんです。

これまで、いろいろな人から問われてきました。しかし、どの問いも、このアタマの質問が抜けていた。だから、「やりたいことなんてない」と思い込んでしまっていたんです。それに気づいてからは、ありたい僕が「自分の『やりたいこと』に気づく」のに、そう時間はかかりませんでした。

伝わるでしょうか。私は「あなたもありたい人だよね、だから目標を持たなくてもいいんだよ」って言ってるわけじゃない。

ありたいひとは、「どうなったら幸せか」を定義できれば、実は「やりたいこと」を定義することだって、できるんです。

だって、自分がしあわせになって、それがずっと続いていくためには、何かをしなくちゃいけないハズ。じゃあ、そこで生まれた「なにか」を「目標」という言葉に置き換えてあげればいい。そのとき、ありたいひとたちであるぼくらは、「ありたい思考」と「やりたい思考」のあいだを、自由に飛び回ることができるはずです。

 

「あなたの『ありたい』はなんですか?」

シンプルな問いです。でも、きっとこの問いに救われる人が、たくさんいるんじゃないかと僕は思っています。

「やりたいことなんかないのになあ、生きづらいなあ、」と思っている人が、少しでもしあわせになれますように。

目標というツール

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やりたいひとの「目標」は、ありたいひとの「ツール」だ。

ところで、ふしぎなことに気づきました。それは、やりたいひとたちの「目標」は、ありたいひとたちの「ツール」であるということです。

やりたいひとたちは「これがやりたい!」という目標をもっています。

一方、ありたいひとたちの(最終)目標は「しあわせであること」なんですよね。そして、それを達成するために「やりたいこと」という目標を生み出している。だからありたいひとたちにとって、「やりたいこと」は、しあわせになるための単なる手段にすぎないんですよね。

例を使って説明してみますね。

「やりたいAさん」がいたとします。その人のやりたいことが「切り絵を作ること」だったとしたら、彼にとって、ツールははさみです。

さて、隣に「ありたいBさん」がいたとします。その人のありたい状態は「人に喜んでもらっているのを実感できること」。そしたら、「切り絵を作ること」は、人に喜んでもらうための「手段」ですよね。

AさんとBさんを外側から一緒にみたら、「やっていること」は同じに見えるでしょう。だってふたりとも、たしかに同じように切り絵を作っている。

でも、ありたいBさんは、実は「切り絵を作っている」んじゃない。「人に喜んでもらおうとしている」のです。だからBさんは、実は切り絵だけにこだわる必要はない。喜んでもらえるのであれば、料理をつくるでも、歌をうたうとかでもいいんです。

ある人にとっては目標であることが、ある人にとっては単なるツールにすぎない。なんだか不思議だと思いませんか?

「やりたい」を簡単に決めつけてしまわないで。

そう考えてみると。「ありたいひと」であるはずの僕たちは、あまりに手段にとらわれてしまいがちなんじゃないでしょうか。

やりたいことが無いという一方で、僕たちは、自分の「すべきこと」をすぐに安易に決めてしまう。「車が好きだから、車の道に」「教育の勉強をしてきたから、教育の道に」「音楽の専門学校に来たから、音楽の道に」…。僕たちは、「これまでこうしてきたから、将来もこの分野を続けていけるかもと、安易に考えてしまう。

でも、それってあまりに安易な考え。

 

あなたが「やりたいひと」で、「音楽をやりたい」のであれば、なんでも、とにかく「音楽と一緒にいること」が幸せなのかもしれない。

でも、あなたがありたいひとなのであれば、「音楽の“何かの要素”が私の幸せを満たしてくれるから音楽が好き」なはずなんです。

ありたいひとの「音楽が好き」は、もうちょっと深掘りできる。例えば「みんなとつながっている感覚」が好きなのかもしれない。「人前で自分を表現するのが好き」なのかもしれない。たぶん、音楽をやっていればなんでもいい、わけじゃないんだと思うんです。

つまりありたいひとは、「音楽」とか「教育」みたいな「やりたい領域」ベースで将来を決めてしまってはいけないと思うんです。

例えば音楽が好きなある人が「みんなとつながっている感覚」が好きな人だったとする。そしたら彼は、音楽のほかにも「みんなとつながる」手段をたくさん見つけてしまえるんです。逆に音楽をしていても「みんなとつながれない」シーンが、これからきっとたくさん出てくるはず。

であるならば、彼は音楽をやるにしても「みんなとつながっていられる音楽」を絞り込むべきだし、あるいは音楽でない領域でも「みんなとつながっていられる何か」を洗い出しするべきなんです。

つまり、ありたい人は、「やりたい領域」で決めるんじゃなくて、本当にそこでの活動が「自分のありたい領域」に合致するのか、これをきちんと考えたほうがいい。

 

「やりたいことは、とりあえずこの領域なんだよなあ」と思っているあなたにこそ問いたい。それはあなたにとって「目標」ですか?それとも、自分がしあわせになるための「ツール」

これについては、以下に詳しく書きました。「カリソメやりたいこと」に引っ張られてしまっていませんか?という記事です。

あなたに読んでほしい。「問題意識」と「やりたいこと」を切り離してほしいという、大事な記事です。

しあわせは、きっとそんなに難しくない。

世の中にはいろんなひとがいますが、私は確実にコッチ側の人間だなあ、と思う。

そしてきっと、同じ悩みを抱えた人もいっぱいいるんだろうなあ、と思うんです。「やりたいことなんか、ない!!私のやりたいことって、なんなんだ!!!」ってね。

でも、僕らはもうそこで、どうしたらよいか知っています。その人がしあわせになるために、きちんと問うてあげればいい。そう。とっても、シンプルな問いです。

「あなたって、どうなったらしあわせ?」

おしまい。

 

掲載情報

サイボウズ式に、森のインタビュー記事【「やりたいこと」がないインターン就活生が、やりたいことを探す話】を掲載いただきました。
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001273.html

本記事につづき、更に内容を深掘りしていただき、実際に取り組んでみたプロセスまで描かれています。ぜひこちらもお読み下さい。

 

 

今回ご紹介した平本さんの本です。自分の「ありたいすがた」(価値観)の探し方も、丁寧に示されています。ぜひご一読を。

マイク・マクマナスの「ソース」。この著はスピリチュアルギリギリ。でも著者は、ワクワクして生きていくにはどうしたらいいか、やりたいことだけやって生きていくにはどうしたらいいか、という問題に、すごく真面目に向き合っている。個人的には、すごく大事なことを言っている本だと思う。

「しあわせ」については、「嫌われる勇気」に全て書いてある、と僕は思ってる。

嫌われる勇気を読んだのは平本さんの著を読んだ後だったけれど、こちらの方が概念としてはより上位階層。つまり、アドラー心理学のなかに「ありたいすがた」という考え方が含まれている。この記事を読んで本著を読むと、ああ、ここのことかあ、と思う部分がきっとあるはず。

アドラーは、本当に全人類に幸せになってもらいたいんだなあ、というのが僕がこの著を読んだ感想です。必読。

もちろん、こちらもどうぞ。

中山さんの著は、僕が言いたいことを、もっともっと優しい、身近な言葉に翻訳してくれている。すごくわかりやすくて、簡潔だ。

僕の記事は、どうしても構造的にものを書いてしまいがち。もしかしたら、僕の記事は、良いこと書いてあるっぽいけど、ちょっとよくわからん…!という人もいるだろう。そういう人には、ぜひこちらを手にとってみてほしい。(ちなみに、逆に構造的に物事を理解したいタイプには、この本は向かない。)

 

では、また!