まだ「まだ東京で消耗してるの?」で消耗してるの?っていう話

最近は自分の変化を楽しんでいる。

 
以前は、ここが自分のたどりつきたい場所だ!と思ったら、
そのためにこれをしなければいけない、
これをしなければならない、
なんてことを言いながらA4の裏紙を大量消費していたものだけれど、
最近はずいぶん「〜しなくては」という思考から放たれている。

 

最近おもしろいことを思っているなあ、という気がする。
以前とは違うかんがえかた。

たとえば、こんな言説がある。
「なんで若者は起業しないのか。やりたいことがあるなら、早く動き出してやればいいのだ」
堀江貴文なんかはこの論調。
「プロブロガーとして生きていくのは簡単だ。東京はやめて早く田舎にくればいい」
これはイケダハヤト。
「世の中には黄金の羽がある。うまく現代の法の仕組みの隙間を抜ければ、いくらでもお金は生み出せる」
これは橘玲。

そして私たちは煽られる。
なんでそうしないの?そうすれば儲かるじゃん。そうすれば成功するじゃん。そうすれば自由になるじゃん。
そして私たちはまた、彼らに消費されたり、憧れたり、でもやっぱり今の生活から離れられなかったり、
もやもやとした想いを抱えて、また普段の「消耗する」(イケハヤ談)生活に戻る。

 

そんな、無駄に夢を見て、確かに消耗するような生活をしていた僕が
今あらためて思っているのはこんなこと。
「なるほど、彼は起業がしたかったんだ。」
「なるほど、彼は煽るブログを書き続けるということが好きだったんだ。」
「なるほど、彼はお金をうまく生み出すということが好きなんだ。」

起業するとか、グローバルで働くとか、地方活性化の雄だとか、
なんかこう、それっぽい人はたくさんいる。
そして、なんかみんな「そこらへん」を目指したがっているのだけど、
それはたぶん違うのだろうなあと思う。

「なんで起業しないのか?」
ちがう、起業したら儲かることも、自由になることも、成功することも知っているのだけど、
そうじゃなくて、僕は別に、それに興味がないだけ。
「なんでブログで収入を得ようとしないのか?」
ちがう、僕はブログを書くのが面倒なだけ、
それは「なんでやらないのか?」(=やるのが当然でやらないのはおかしい)という考えを前提におくのは本来はおかしくて、
ブログで収入を得ている人はそれを「やりたかった」、だから結果的に「できた」にすぎないんだろうと思う。

 

昔はそうしたこと、起業とか、ブログとか、お金を生み出すとかということに対して、
「能力がないからできない/能力があるからできる」という区分があって、
それに対して自分は能力が無い側なのだと思い込んで、なんとはなしにつらい思いをしていたものなのだけれど。

「そうじゃない」ということに、最近ようやく気づいた。
本当は「別に僕がやりたくなかったから能力が身についてないだけ」なのだ。
やれ!と言われて強制されれば、一日10本ブログを書くことも、起業して人を巻き込むことも、本当はとても簡単なこと。(それが成功するかはまた別として。)
でも、「強制されないとできないようなこと」は、僕らは「できない」し、「やる必要なんてない」。

だとすれば、それに対して無理に近づこうとする必要はない。
きちんと丁寧に自分のしあわせを定義して、それを満たす場所に行けばいいだけ。

 
 

こんな考えかたを始めたものだから、世の中の、普通の人がいう正解なんてものに
もう何も価値を感じなくなってきた。
世の中に、すごいなんてこと、正解だなんてこと、こうすればいいなんて指針、
そんなものは存在しない。
東大に入ったなんてのは、勉強をすることが単に好きだっただけであって、すごいことなんて何もない。
世の中の人が見下そうと、誰かがからだを動かしているのが好きで、えんえんとそれをしていれば幸せなのであれば、肉体労働者になるのは「最高な」選択肢だろうと思う。
簡単に言えばそういうこと。

もうちょっと言ってしまえば、
これが世の中のためになるんだとか、これが社会の課題を解決するんだとか、
そういうのは、その人が「世の課題を解決することが楽しい」とか、「自分の価値を感じられる」とか、
そういうメリットを感じるからやっているんであって、
誰かが、社会の課題解決に価値を感じない誰かが
無理して「これをしなくちゃ!」なんて始める課題解決に価値はない。

 

何も考えないで書いているから、もしかしたらわかりにくいかもしれないのだけど。
何を言いたいかというと、
社会のためとか、地位が高いとか、起業とか外コンとか給料が良いとか、
そういうことに価値が見出されやすい世の中なのだけど、
それは全員が幸せになれる軸なのではなくて、
それは「それをしていて幸せになる人の軸」でしかないのだということ。
保育士が最大の幸せだって人もいれば、農業が最大の幸せだって人もいる、
木地を作り続けるのが幸せだって人もいれば、テレビ局で音声をとってるだけのことが限りない幸せだという人もいる。

今の自分に納得しろという話じゃない。
自分がこうなれば幸福だ、という状態がかならずあるはずで。
(無理に言語化すべき、とは僕は思わないけれど)
それをきちんと選択すれば、それでいいじゃん、という話。

たぶんそれができたなら、東大卒が肉体労働者になろうと、
一般人から見たら彼はバカでまぬけなやつに見えるかもしれなくても、
彼自身は大真面目にサイコーの幸せを享受しているはずなんである。
(もちろん、選べる立場っていう話はあるけれど。)

 

目の前の紙に「やりたそうなこと」を書き出してみる。
で、それを具体化までしゅしゅっとやってみる。
それを見て素直に向き合う。
絶対これ儲かる、これすれば成功する、こうすれば楽しいはず、わかってるけど、「別にやりたくない。」
この感情をいまは素直に持てる。

総理になりたい、漫画家になりたい、作家になりたい、ミュージシャンになりたい、
モテモテになりたい、海外いきまくりたい、不労所得で生きていきたいなどといって
ここまで来るのに随分かかったような気がする。

今俺がそうなってないのは、別にやりたくなかっただけだ、と今は思う。
それだけ。とても簡単なことだなあと思う。

 

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投稿者:

森 一貴

山形県出身、東京大学教養学部卒。コンサルティング企業にて勤務後、鯖江市ゆるい移住に参加。現在、考える力を伝えるプロジェクト「CUE」代表。