最近話題の世界一のクリスマスツリープロジェクト・あすなろの木について。

私たちは、経験や周囲の情報に引きずられやすい。

先日、丁度社会福祉協議会の東海・北陸ブロック研修会に講師として呼んでいただき、「伝える/伝わる」というテーマで講義を行いました。

その一つの大きなテーマが「多様な視点を持つことができるか?」

グループワークでもこれを取り上げ、これまでの自分の経験、得てきた情報や、自分の周囲の人の発言によって固定的な視点がどんどん積み重なってしまう、という話をしました。

その結果、他の人の意見を見ようともしなくなってしまったり、ましてや意見を変えるなんてことができなくなってしまうケースが多いと。

今回のあすなろの木の件は、この「多様な視点を持てるかどうか」を考えるための、まるで良い例題のようなモデルケースだな、と感じています。

別の視点を持とうと試みたか?

facebook上では「人間中心の世界観で安易に木を切り、運び、晒し者にした挙句、『語り継いでいく』シンボルである『いのちの木』を切りきざんで金儲けする。そんなことが許されるのか?」というスタンスが僕の周囲では主流です。

その結果、僕のタイムライン上では「このプロジェクトには、反対で当然」という空気感があるように感じます。

そのとき、「この反対論は当然理解できるけど、一方これをやろうという側の人は一体どんな考えなのか?」ということを少しでも考えたか?僕の問題意識はそこです。

少なくとも僕の(イベントの事務局経験があるという意味で)目線で見ると、「儲かるだろうなあ」なんて推測だけは絶対できない。

神戸市や氷見市、森林組合との調整、ロジのマネジメントから運搬後の装飾、広報にその他商品企画もろもろ、間違いなく超面倒で割に合わないだろうことだけは予想がつきます。

つまり、その背後には何かしら強い思いがあったはずで、その思いをもって神戸市や氷見市、関係各社に提案し、実際に説得し、調整してきたはずなのです。

双方の思いを見てみようとしてほしいのです。

その双方の思いを見ないで、僕は一面的な判断は下したくないなーと思っていたのですが、主催・そら植物園の方よりメッセージも出てきたようです。もしよかったらどうぞ。こちらも素敵な視点だなと思います。

あすなろの木について寄せられるご意見等について
~清順より大切なメッセージ~
http://soratree.jp/message.html

僕なりの解釈で要約します。

知らない間に私たちの身の回りにある『木』。その姿をたくさんの人に見てもらい、それがどう使われていくのか、想像を広げるきっかけにしたい。同時に、神戸のクリスマスを祝い、復興と鎮魂を祈りたい。

SNSという一面的な見方が強力に拡散されやすい場における、私たちが持っておくべきリテラシーやスタンスってあるんじゃないでしょうか。

ちなみに、僕自体が賛成か反対か、という結論はないです。

ただ、わざわざ無理して不幸を感じ、不幸を拡散する必要はないんじゃないか?という意味で、反対派になる必要はない、と思っています。