ここにいると、なんか落ち着かないなあ、早く家に帰りたいなあ、
と思ってしまうような場所にいたから、
将来住むなら、ずっとずっとそこにいたくなるような場所に住みたいなあ、
なんて思った。
そのとき、「ずっとずっとそこにいたくなるような場所がある」、ということを、
なんであんなに簡単に信じてしまったのか、
そうしてやっと家に帰って、
さて、じゃあ僕にとって、その場所とはどこなんだろうと、
24年の引き出しをひっかきまわしたら、
それは今の家ではなくて、中野の四畳半ではなくて、山形の実家ではなかった。
それは、卒業ライブでみんなで泣きながら歌ったスピッツのチェリーのことであり、
友人と旅行に出た帰りの車内のことであり、
明け方目を覚ましたら隣で好きなひとが寝ている朝焼けのことだった。
そこには明確な「場所」なんてなかった。
あったのは、大事な人が隣にいて、そしてその時間はどこかで終わるのだという諦観だけであった。
そしてその瞬間を、確実に失われていると知ってしまうその瞬間を、
きっと僕たちは永遠に追い求めるんだろう。