東大生は臆病なひとのあつまりって話

こんにちは、森一貴です。
当たり障りのある話をします。

俺はすごい人間です。
公立高校から塾にも行かず東大理Ⅰに現役で合格し、
その後大手総合コンサルティングファームに入社しました。
で、それってなんなんだっけ?という話です。

自分の話

自分の話をします。

小学3年生の頃は、こんな世の中じゃアカン。俺が総理になって日本を変えるんや。
と思ってました。

中学2年生の頃は、
こんだけ才能があったらミュージシャンでも漫画家でも食っていけるわ。
とはいえさすがに手に職は持つ。芸術は趣味でやりながらも、
やっぱ才能があるから売れちゃって、途中から印税で生きてこ。
と思ってました。

だけど、ずーっとこれをやって死ぬ!!と思えるほどのものもないし、
選択肢を絞るのはもう少し大人になるまで待ってみよう、と思ったんです。
高校生になればなんとなくやりたいことも出てくっぺ。

さて、高校3年生になって、進路を決める段階になった。
工学部?薬学部?いやいや、学問を限定するようなダサいことはしたくない。
医学部?それもダサい。もうレールにのっちゃうの?
東京大学は「進振り」という制度がある。1,2年は教養を学んで、その後に学部を選べる。
おお、いいじゃん!東京大学に入ろう。なにより東大に入るって、めちゃかっこいいものね。

と思って、東京大学に入った。
さて、進振りの段階になった、学部を選ばなくちゃいけない。
困ったなあ。お、教養学部という学部があるのか。
文理融合型、文も理も分け隔てなく論じる、かっけーな。
広域科学科の人文地理分科では、地理を通じて経済やまちづくり、心理、教育、ジェンダーなんかにもアクセスできる。
地理スゲーな!なんでもできんじゃん、なるほどそこにしよう。

大学3年のおわりに就活の時期がやってきて、
いや~、少なくとも金融はやだな。広告とかマスコミとかはちょっとキライだ。
総合商社とかもなんか体育会なんでしょ?いきたくねー。

結局やりたいことはみつかっていないけど、
かっけーし、年収良さそうだし、卒論ではまちづくりもやったし、
とか思って不動産を中心に就活。
なぜか全落ち。

その後、まだ募集をかけていた企業にESをだしまくったところ、
「君のやりたいことは?」なんて聞かず、かわりに「君は頭がいいね。」と俺に告げた
大手総合コンサルティングファームにめでたく入社したのでした。
コンサルティングは、クライアントの理想の実現に寄り添う仕事。
何をするか決めなくていいし、どの業界にもアプローチができる、
とってもステキな仕事だ。

どーですか?「いやあ、すばらしい人生だね。」?

臆病の話

俺の目の前にずっと転がっていたのは選択肢でした。
総理、ミュージシャン、漫画家、研究者、薬剤師、医者、商社マン、広告マン、銀行マン、
どうなん。こんだけ選択肢があって、「選ぶ」なんてばかじゃないですか?
なにかを選ぶのって、他の選択肢を「ぜんぶ選ばない」ということと同じなんですよ。
カンタンに総理にもなれたはずの俺が、総理になるだけじゃもったいないじゃん。
当時の俺は何にでもなれた。

そしてまだ何か良い選択肢があるんじゃないか、何にでもなれるはずだ、と言いながら、
どれも選ばなかった結果、東大に入り、教養学部に入り、コンサルになって、
果たして、
「なんにもなれなかった」。

そう、俺は怖かった、「東大に入らないこと」、つまり「選択肢が狭まること」が
何より怖かった。
選択しないこと、それが一番楽で、選択しないように生きてきた。
今から考えれば、それは「選ぶ」ことを放棄していた、
もう少し野暮な言い方をすれば、選ぶ勇気がなかったんだと思う。

最近あらためて、仕事を辞めるとか、TFJに応募するとか、
きちんと自分の選択としての「選ぶ」という段階を経験してみて思ったんだけど。
選ばない人間はなんでもないし、なんでもない人間には、何も降っちゃこない。
さて、じゃあ俺はなんで選ばなかったんだろう?選べなかったんだろう?
そこで思ったんです。

選ばなくていい状態でいられるなら、誰も選択なんてしない。
だって、選択は「それ以外のすべてを選ばないこと」で、面倒で、とてもこわいことだから。
それに、もし選んだら、自分にあわないかもしれない、失敗するかもしれない。
少なくとも、選んでいない間は、その選択肢が間違いだとは知らずにすむ。
選んでいない間は「俺はまだ全力でやってねーから。やりゃできんだよ。」と言って、可能性を残しておくことができる。
そう、他のひとたちが思い切って(学力とか、親の圧力とかもありつつも)「選択」をしてきた間、
東大生はずっと選ばなくてよかった。「まだ時期じゃない」と言って選択を先延ばしにしてきた。

そっか、もしかしたら東大生って
なにも決めなかった、あるいは、「決められなかった」臆病なひとの集まりなのかもなあ。
と、思ったんです。

自分の話を東大生全体に一般化すんなと怒られそうだけど。笑
もちろん、「臆病じゃない」東大生も俺はたくさんたくさん知ってます。
でも、そうでない東大生、いっぱいいるでしょう。
果ては何をするでもなく、ふわふわと院にまで行って。

もちろん、そして東大生じゃなくても、きっとあらゆるところに
「決められなかった」臆病なひとがきっといっぱいいるでしょう。

いま、自分の選択のなかで動けている?
それとも、「自分の可能性を広げる」と称して、単に選ぶことと向き合っていないだけ?
今、なにをしてますか?何を選んできた?あなたはなんですか?

自分への戒めもかねて。

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そのほかの記事

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ニューオーリンズに夢見ているのは、きっとそんな景色なんだと思う。
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「最大幸福を追求する」ような景色、
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■ブログ:教育・まちづくり・生き方を中心に、ブログを書いてます。
主な記事は以下。
やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」
東大でまちづくりを学んだけれど「まちづくり」が嫌いな私の思う「まちづくりの違和感」

将来に悩むみなさんへ

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やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」
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東大に入ればなんでもできると思っていたかつての私に向けて(外部サイト)

投稿者:

森 一貴

山形県出身、東京大学教養学部卒。コンサルティング企業にて勤務後、鯖江市ゆるい移住に参加。現在、考える力を伝えるプロジェクト「CUE」代表。

「東大生は臆病なひとのあつまりって話」への4件のフィードバック

  1. 私と同じタイプの人だと思われ、共感しました。

    人生を豊かに生きることについて考えると、選択肢が多い方が豊かに思えてしまう。世渡りの交渉力が高いように思えます。

    しかし、実際に人生が豊かな人は、ひとつの道を選んだ人です。子役上がりの役者やアスリートや音楽家を見てそう思います。自分が進む人生を決めた時期が早い分、投資期間も長いので、彼等は同年代が就活で初めて仕事を意識する時期には大人の世界で成功しています。

    私はこれからの時代、この差が重要な意味をもつと考えています。漠然と過ごしたら、現時点で大卒でも仕事ないですからね。きつくて安くて市場価値が上がらない仕事以外は。

    一芸が必要なんです。選ぼない人生を送ってきた人は、それがないんです。それがなく、普遍的な能力が高い人は器用貧乏であるとバカにされる。会社からしたら便利に使われる存在で、尊敬はされません。一目置かれる存在になるには、プロフェッショナルにならなければなりません。

    、、、と、私は考えました。自分に直面してるテーマなので関心高いです。もっと掘り下げてくれたら読みたいです。

    以上

  2. はじめまして。

    木下斉先生が関係するツイッターから知りました。

    さて、「選択」に関してですが、私は、安冨歩先生の所論が「目からウロコ」でした。
    特に、学が無い私にもやさしく読めた『生きる技法』から学びました。
    いま、ネットで検索しましたら、その本に係る読書メモを記したブログがありました。
    http://d.hatena.ne.jp/hommasusumu/20150622/p2
    そこで述べられてる、選択に関する命題を挙げてみます。
    【命題6】自由とは、選択の自由のことではない
    【命題6─1】「選択肢が豊富にあること=自由」ではない
    【命題6─2】成功とは、可能な選択肢の中から、最善の選択をすることではない
    【命題6─3】人生には常に無数の選択肢がある
    【命題6─4】無数の選択肢の中から、正しい選択をすることなど、原理的に不可能である
    ・「正解」の選択はない
    【命題6─5】選択という設定自体が危険である
    【命題6─6】選択を迫られるなら、その場を逃げ出すべきである
    【命題6─7】不可避の選択に直面しているなら、どれを選ぶかは問題ではなく、どのように選ぶかだけが問題である
    【命題6─8】自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う
    【命題6─9】どれかを選択した以上、別の選択肢はもう閉じられている、と感じるのは誤りである
    【命題6─10】自由とは、思い通りの方向に成長することである

    あと、やはり「選択 安冨歩」で出てきた6年前の、松尾匡氏の書評、いま初めて読みましたけど面白かったので、合わせて貼り付けて置きます。(現在の松尾氏と安冨氏の所論はそれぞれ更に展開されているかも知れませんけど。)
    http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_90406.html

    なお、安冨歩先生の近著には『ありのままの私』・『満州暴走 隠された構造』などあります。

    以上、ご参考まで。

    (名前「きい」は苗字のひらがな書き。)(自身のウェブサイトなし。)

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