大概のことが簡単じゃない。
自分のBEINGを実現しながら、単なる繰り返し焼き直しではなく、何かしらの他者へのプラス影響を与えられる、かつSCALABLEな状況を実現したい。
自分にとってのwell-being(will,wants)は、
・自由=非束縛性(時間/労働/居住/人間関係)があり
・相互の存在の全承認(自由の相互承認)が成立すること
・家族や友人、恋人を愛せる余裕のある人生
それに、自分がすべきdoing(must,needs)として、
1)scalableであること/sustainableであること
2)何らかのプラスの影響を生み出すこと
→個人的な理由から、「自由」をいかにつくるか、ということ
の2点をなんらかの形で実現していくべきなんじゃないかと思ってます。
having-can-seesは割とまだなんでもできそうだから、無理に狭めなくてもいいかな。
具体的なDO(2のプラスの影響、という観点)としては、
「個人に肯定を、社会に寛容を」
というコンセプトを考えています。
これからの個人の生き方として明確に必要なのは「自由の相互承認」と、「ほしい未来を自分でつくる力」、この2つ。
その実現のために対話・探究・実践という柱を設定してハルキャンパスという事業をやっているわけですが、doingとしての筋は割といいと思うんですが、well-beingに対して随分抵抗してくるところがあって。学外学習って夜じゃないですか。そのあたりが、あんまりうまくいっていないなーという気がしています。週2程度で設定がある点については許容範囲かなと思っているのだけど、それでも苦しい。
更に、社会に寛容を、という視点では「違ってもいい社会」「弱くてもいい社会」「問える社会」の3つの視点で、何かしらのDOをうっていきたいと思っています。こっちについてはまだ何も考えてない。笑
作りたいのは自由で、それは労働の自由だったり居住の自由だったり、恋愛や人間関係や経済への自由だったり、だからターゲットもいろいろだし、できることもいろいろ。たぶん、民間的な視点でDOしようとしていくのであればかなりチャレンジングなことを言っていると思う。そして同時に、知らない誰かのためではなくて、心にきちんと自分のためであるような(かつ自分のwell-beingを満たすような)。
そうじゃないと続かないからね。わがままでごめんなさい。
あんまり安直な解に帰結したくなくて、ライターやWEB制作、カメラマンというのは、まあ非常にわかりやすいんですが、だからすぐにライターへ、というのは違っていて(決して否定しているのではなく)。世界ってもっと色んな仕事があるはずで、それをせっかくITというツールがあるんだから、うまく上記のBEとDOのバランスの中で、自由とImpactを両取りしたい。
自分の苦手なこと、にもちゃんと向き合いたいね。僕はとても非インタラクティブな人間で、一緒にやるとか、巻き込むとか、ファシリテートとか、あんまりそういうことに興味ない。最近やっと向き合えるようになったけど。笑
で、それっていうのは「スキル」がどうとか以前の話で、別にやりたくないから、やろうとする必要もない。すぐにやりたくなっちゃうんだけどね。
あともう一個、いつも忘れちゃうんだけど、仲間の重要性。誰とやるか。たぶん一番重要なとこなんだけど。どうしようかな。
いろんな自由への制約が煩わしいです。もっと軽やかにいかないかな。
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来年から引っ越すことになり(鯖江に)、
改めて自分はこれから、誰とどこで何をしていくのか?とふと思い至る。勿論、考え出せばきりがないことなのだけど、しかしそれでも、そろそろ方向性を決めていかなくちゃいけないんだろうなあ。
誰と、どこで、何を?
今していることも、いつまで続けることなのか、広げていくのか、閉まっていくのか、いろんなことを検討した末の結論をもとに、次の選択をしていかないと、ゆるゆる流されていってしまうはずで、それはだから間違いということではないけれど、ううん、今僕は決めるということを決めている。
僕は将来、誰と、どこで、何をしている?
そのために僕はいま、誰と、どこで、何をすべきか。
うーん。