「お気に入りのアルバム10枚について、そのカバーをfacebookにあげていく&次の人を指名する」という音楽ねずみ講に巻き込まれました。せっかくなのでご紹介。




Day3 「GREAT HUNGRY」/永原真夏

永原真夏。奇跡のアーティストだ、と僕は思う。突き抜けるようにパワフルなボーカルとアイロニカルな歌詞、バックバンドによるその繊細な一期一会の強烈な一体感から生み出される、”ミュージカル”のような曲の数々。バックバンドはフジロッ久(仮)のりょうくんなどを交え、「SUPER GOOD BAND」として活動しています。

もちろん、フジロッ久(仮)に似てるねとか、元気だねとか、わかりのよい言葉で表現することは容易なのだけど、僕にとって永原真夏というひとは、全くもって畏怖と尊敬の対象であり、そして宝石のような、あまりにかけがえのない唯一の芸術です。

 

誰もが恐れて言わないなら 私がここで言ってやる
人の命に意味などない 守れるものなどどこにもない
−「GO BACK TO MONSTER」

 

聞こえるかい? 60兆の細胞のオーケストラ
爪先から頭まで 歌えDNA
友達よ 恋人よ 同じ気持ちでいられるなら
血は必ず繋がってゆく 気付けDNA

聞こえるかい? 響き渡る歌声に
わたしから手紙を書こう 「大好きだよ」と
−「DNA」

 

永原真夏という人間は、いつ死んでもおかしくない。それはそれは芸術であり、哲学であり、太陽であり光であり、同時に怠惰か雑然か混沌であり、その清濁に、誰よりも真正面から向き合っているのが永原真夏という人間、それは衝動的な生の爆発です。

これがただの綺麗事なら僕は笑うだろう、これがただの恋の歌なら笑うだろう、これがただの愚痴や呪詛なら笑うだろう、しかし永原真夏はその全てであって、その上で永原真夏は生を、愛を、自由を、幸福を叫んでいる。

 

 

 

僕は何度も背中をおされた、その言葉ひとつ、その音ひとつ。

僕は永原真夏を前にして、それは音楽なのに、体を動かせない、ただその圧力に、真正面から向き合うのだ。

それは生の爆発であり、芸術であり、表現、圧倒的な生の表現であり、僕は圧倒的なそれと対峙する、素っ裸のそれと対峙して自己のそのままを問い直され、そして僕はその自分に、裸のままで向き合うのです。

それは、永原真夏がただただ、こどものままであり、弱い一人の人間であることを知っているから、そしてその自分を肯定する哲学と勇気とを彼女は、類まれな奇跡のなかで、極めて繊細なバランスのなかで抱えている。

 

ずっとずっと まわる世の中で
ずっとずっと 遊んで生きよう
−「あそんでいきよう」

 

彼女は知っているのだ、人間は強くなんかないってこと、特別なんかじゃないってこと、なんにでもないこと、なにかになろうとなんてしなくていいこと、生きる意味なんてないってこと、

それよりもう少し怠惰な感じっていうか、今ってみんな何者かになろうとし過ぎてるんじゃないかって思うんです。 別に、何者でもなくても生きていけるし、何者かになることが重要でもないし、頑張らなくてもいいと思うんですよ。禅問答みたいな話ですけど、社会一般にある常識、たとえば「明るく元気に毎日を過ごしましょう」に対して、「何で?」って言われたら、答えられる人いないと思うんです。

「みんな特別」みたいなのも、「嘘つけ!」って思う。私は、「特別じゃなくても全然いいんだからね」ってメッセージが、今の時代から抜け落ちてると思うんです。別に「オンリーワン」である必要もないんじゃないかなって。年上の人が若者に「将来の夢は?」って聞いて、「会社員です」って答えるとびっくりされたりするけど、「別にそれでもよくない?」って思う。

(永原真夏の告白 やはり苦しんだ活休からの1年半と、そこでの発見 – https://www.cinra.net/interview/201611-nagaharamanatsu)

そして、それをまっすぐ肯定することができる、それが永原真夏だ。

 

 

それは一体なんと表現したらいいのだろう。それは動くアートなのか、演劇、あるいはミュージカル、あるいは映画、詩、絵画、音楽、総合芸術、それは圧倒的な生の発露だ。

僕は何度も永原真夏に対峙して、自己をあらわにし、恐ろしく弱くいびつな、小さな小さな自己を見出す。そしてそれをそのままに肯定するその永原真夏という人間に、その美しさに、儚さに、彼女の裏にあるぐちゃぐちゃの悪魔のような弱さ、いびつさ、罪、けがれ、そういった全てをひっくるめて愛する彼女の恐ろしいほどの生の発露を、ああ、美しい、なんて美しいんだ、と思うのだ。

そしてその圧倒的な圧力のまえで、驕り、装い、繕い、強がり、そういう僕にからまりあったジャマなものを全て取り払った自分がのこったとき、初めて僕は自分の足で歩き出せる。そんなふうに思うのだ。

永原真夏は、そんなアーティストです。

 

 

わたしには国も民族もない
宗教もない神様もない言語もない
あるとするならそれはひかり
むねのなかの懐かしいひかり
びゅんびゅんランダムに飛んでいって
いろんな色に変わる代わるひかり
それはいつしか音になって
意味を持って 馴染んでいって
知りもしないだれかといつか
おなじきもちになれたりとか
泣いたり笑ったりできるんだよ
−「オーロラの国」