「お気に入りのアルバム10枚について、そのカバーをfacebookにあげていく&次の人を指名する」という音楽ねずみ講に巻き込まれました。せっかくなのでご紹介。




Day2 「Plantation Lullabies」/Me’Shell NdegeOcello

“Me’Shell NdegeOcello(ミシェル・ンデゲオチェロ)”。彼女はErykah BaduやD’Angelo、Maxwellとならび “Neo Soul” というジャンルの立役者として知られています。

彼女の名”NdegeOcello”は、スワヒリ語で「鳥のように自由に」の意。その名のとおりR&BやJazz、Soulをベースにしながらも、自由奔放でクレイジーな彼女のベースラインおよびソングライティングは、彼女の思想、セクシュアリティや黒人としての矜持もあいまって、当時のSoulにコントロバーシャルな(しかし好意的でフレッシュな)驚きをもって受け容れられました。

その彼女のファーストアルバムがこの「Plantation Lullabies」。1993年に発表された本アルバムと、彼女を代表する一曲となった「If That’s Your Boyfriend (He Wasn’t Last Night)」は、まさにNeo Soulの嚆矢ともいえるものです。

If That’s Your Boyfriend (He Wasn’t Last Night)。これがGROOVEだぜ、とでも言うかのようなベースのスラップにハラを揺さぶられる。ギターにデヴィッド・フュージンスキーを迎え、ドラムにジーン・レイク。本アルバムにはジョシュア・レッドマンらも参加し、テクニカルであるだけでなく世界観のあるアーティストが名を連ねています。

この曲は(あるいはこのアルバムは)しかし、ンデゲオチェロを語るうえでは「かなりポップ」な一曲だと言えるかもしれません。彼女の世界観は、ある固定的な見方にとらわれずそこにあるからです。Erykah Baduに見られる芯のような明確な方向性、ということに対し、ンデゲオチェロは常に実験的に表現を試みているように思います。

強烈なhip-hop性を感じるCookie : The Anthropological Mixtapeや、Jazzyな雰囲気を持つThe Spirit Music Jamia、そのほかBitterから連なる近年のボーカル中心のソングライティングなど、その表現の幅には脱帽の一言。

ABOUT GROOVE

僕がNeo Soulに出会うまで知らなかったことは、「音楽はズレている」ということです。

とりわけ吹奏楽部で育った僕にとって、メトロノームベースでジャストタイムであること、というのは当時の僕にとって疑う余地のない決定事項でした。「縦が揃わないならば、その音楽は崩壊している」とでも言うかのような正確なビート、こそが当時の僕にとっての正しさであったのです。

しかし、Neo Soulは違う(これはjazzだって、J-popだって本来そうなのですが)。例えば仮に楽譜があって、同じ位置に複数の音符が置かれていたとしても、その音符は「曲のビート」に対して、個別に前に寄ったり、後ろにズレたりしていい、むしろそうであって当たり前であり、それをGROOVEと呼ぶのだ、ということを、Neo Soulを通じて明確に僕は理解しました。

稀代の傑作、D’AngeloのVooDooより「Chicken Grease」。これまでの僕らが知っている「音楽」とは違う、と明確に理解できるでしょう。その特徴は「モタった(遅れた)ドラミング」。コーラスワークもそうですが、曲にまとわりつくような粘ついた印象を受けると思います。(こんなときに、僕らがいつも邦楽ロックでやるように体を動かしていると全く体と音楽が合っていないような感覚を受けます、8ビートの「アタマ的」なノリではなく、とりわけ強烈に裏ノリが強調されている。)

そのドラミングを担当した、同様に稀代のドラマーである”クエストラブ”の動画が非常に興味深いです。問題のところは0:30〜。

クエストラブは「他のドラマーに笑われるんじゃないかと思った」と言っています。そして、D’Angeloからは「俺を信じろ、フォースを使え」と言われたと。なんだそりゃ。でも、確かに聞いて分かるとおり、なんかズレズレ、まるで初心者のようなドラムであることがわかるでしょう。

Neo Soulはそういう音楽であって、その意思を具現化したクエストラブはとんでもない人間ですが、それ以上にそのコンセプトを描いたD’Angeloは変態であり、天才です。

これ以降、数々の音楽が実は「ズレ」ていることに気づき、音楽への解像度がぐっとあがったように感じています。僕のこうしたGROOVEに対するのめり込みのきっかけを作ってくれたのがD’Angeloであり、Erykah Baduであり、Me’Shell NdegeOcelloだったのです。

Neo Soul

Neo Soulは新しいジャンルの音楽です。それはブラックミュージックであり、現代音楽としてのR&Bであり、hip-hopやjazz、erectronicsやafrican musicなどの音楽を組み込みながら発展し、80年代にD’Angeloなどの登場に伴い、明確な成立を迎えました。

Erykah Baduより「On & On」。この人も本当にクレイジーなひとで、ミュージックビデオの撮影の際、ジョン・F・ケネディが暗殺された現場で全裸になって警察に捕まるなど、強烈な思想の持ち主です。

いまの日本でこれらの音楽から明確に影響を受けたアーティストをひとつ挙げろと問われれば、それは間違いなく「cero」でしょう。

ceroより「orphans」。有名所を取り上げましたが、例えばアルバム「obscure ride」のオープンを飾る「C.E.R.O」などはまさにD’AngeloらNeo Soulの影響を色濃く感じる一曲と言えます。

 

人種や国境を超えて、広く影響を与えるNeo Soulですが、しかしその本質的な特徴は”精神的な音楽である”ということなのではないか、と感じます。Me’Shell NdegeOcelloも当然然り。彼女のアイデンティティともいえるその確立された矜持をロサンゼルス・タイムスのコメントから引用し、記事の終わりに添えたいと思います。

“I’m not a feminist, not at all. Feminism is a white concept for white, middle-class women who want to have the same opportunities as their white, male counterparts. We can fight our men, or we can fight the system. I’m not going to fight my brothers; I’m going to try to stand beside them.”(Los Angeles Times in 1994)
(私は全くもってフェミニストではない。フェミニズムとは白人による、白人の中流階級の女性のための、白人の男性と同じ機会を得ようとするコンセプト−”私たちは男性と戦う、あるいはシステムと戦う”。私は私のブラザーと戦いたくはない。私はその横に立とうと試みるのです。(著者抜粋・一部意訳))

 

 

 

今日のspotifyプレイリスト。

 

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