→実態版
こんにちは、森一貴です。
結局のところ、
「ゆるい移住」ってなに?
というところをカンタンに説明している文章が見当たらないので、書きます。
ゆるい移住ってつまりなんなの?
公式ウェブサイトはこちら。
http://sabae-iju.jp/
ゆるい移住は、以下の4つの要素で説明できます。
・鯖江市が主体でやってる。
・市営団地の3LDK×2部屋をルームシェアしてる。
・期間は半年間限定(3月末まで)。
・家賃が無料なだけ。
ゆるい移住のポイントは、この、家賃が無料な「だけ」というところ。
一般的な体験移住では、農業体験、起業支援、就職支援等の何かしらのメニューがあるのに対し、
ゆるい移住では、「ただ住んでみる」ことを目的としているんです。
つまり、農業体験も、起業支援も、就職支援もない。
この「勝手にやれ」感(=ゆるさ)が、ゆるい移住の一番の特徴だと感じています。
ゆるい移住ではとにかく「勝手にやれ」感が徹底しています。
すなわち、一般の体験移住では、
家具があり、部屋があり、農業体験、職人体験があり、面談の機会があったりする。
制約が多いこともあるようです。
住民票を移す、仕事はする、一定期間はその地にいることを義務付ける。
一方で、ゆるい移住では、
事前面談なし、家具なし、一人一部屋もなし(3LDKに、いまは常時4,5人で住んでいます)、
職人や農業従事者へのコネクションもなければ、仕事をする必要もない。
また、制約も全くありません。
働かなくていいし、鯖江に住民票をうつさなくてもいいし、
週末だけ来てもいいし、移住部屋にくるのは半年のうちのたった一週間だけでもいい。
何よりおもしろいのが、事前合宿で言われたこの言葉。
「みなさんが将来的に住んでくれなくても、全く問題ありません。」
体験移住なのに、将来的に「住まなくてもいい」のだと。
住まなかったなら、住まなかった理由が見えるだろうから、
それならそれでゆるい移住をやった意味はあっただろう、と市長がいうのです。
ゆるい移住で試みられているのは、ほんとうに
「住んでみるだけ」
という実験なのです。
ゆるい移住って、どんな考えから生まれたの?
ゆるい移住の発案者は、若新雄純さん。
ニート株式会社を作ってニートを集めたり、JKを集めてまちづくりをしてみたり、
ゆるい就職とかいって週休四日で正社員になる道を模索してみたり、
へんなことを真面目にやっている人です。
最近は創造的脱力という著書を発売し、
ゆるいについて熱く語っています。
今回のゆるい移住も「市がやるのに、ゆるい」というへんな事業ですが、
その背景には、若新さんの
「もっと色々あっていいんじゃない?」という考え方がある、のかなあと感じています。
若新さんと話していたのは、
「今の日本には、オルタナティブ(ほかの選択肢)がない」ということ。
いまの日本では、
「いい大学に入り、新卒で大企業に入社し、40年勤め上げる」のが理想になっています。
生き方って、本当はそれだけじゃないはず。
でも、今はそれ以外の生き方を許す「しくみ」がないような気がします。
大企業に40年、が基準になってしまい、それ以外は「負け」のように見えてしまう。
いまは徐々に「田舎へ移住」の動きがでてきています。でも、これもすごく二項対立的です。
つまり、都会で大企業なのか?田舎で農業なのか?
どちらか選べ、と言われているような気がしてしまう。
でももっともっと、いろんな選択肢があっていいはずなんです。
別にやりたいことが決まっていないなら、
もう少しモラトリアム期間が長くてもいいし、
もっといろんなことに少し手を出してみるような時期があってもいい。
そこで、ゆるい移住が試みているのは、
「自由に寄り道・実験していい」という、新しい「しくみ」を作ることなのだろうと思います。
それは言い換えれば、
「生き方に新しい選択肢を作る」
という、ひとつの挑戦だと言えるかもしれません。
ゆるく移住している方の私たちは、
ゆるい気持ちでいるけれど。笑
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