あいさつはいい。
何を話そうと思っているのでもなく、ただその人のために声を出す。
それだけのそれがいい。

そして僕たちは、誰からでもあいさつをされるひとになる方法を知っている。
それは、自分からあいさつをすることである。
なにをあたりまえなことを、とばかにされそうだ、あいさつをすれば返してもらえるに決まっている。
僕が言いたいのはそこじゃない。

彼が自分からあいさつをし続けていると、僕は彼に会った時に、
あ、あいつ、いつも俺に挨拶してくるやつだ。
と思う。
あーどうしよう、どのタイミングで俺を見つけるんだ、いつ俺は挨拶されるんだ、
油断ならない、ええい、いいよ、俺から言うよ、
「おはよう」、
そうして彼は自分からあいさつをしなくても、誰からでもあいさつをされる人間になる。

 
僕にとって、河和田はそんな街である。

河和田は、かわだ、と読む。
僕の住む福井県・鯖江市の東側にある、三方を山に囲まれた地域である。

僕が鯖江に来てすぐのころ。
あさ、職場にいくまえに、ふらふらと河和田を歩いていたら、おばあちゃんにあいさつをされた。
「おはようございます」
うんうん、朝はおばあちゃんにあいさつされる時間だよね、と僕は思った。
だから僕は次の日から、おばあちゃんに出会ったら、僕からあいさつをすることにした。
そのときは、なんとも思っていなかった。どこだってそうだからである。

かわだ

かわだ

ある日のことである。
河和田でお昼を終えて、今日は珍しく、よく晴れたいい日だなあ、と思って、
ぼうっと散歩していたら、
「こんにちは」
あいさつをされた。

僕は驚いて、うまく返すことができなかった。
なぜって、それは相手が知らない人だったからであって、時間が昼だったからなんだけど、ほんとのところはそこじゃない。
僕が驚いたのは、僕にあいさつをしてきたのが、
自転車に乗った、20代くらいの、きれいなお姉さんだったからである。
油断していた。そんなことって、あるんだろうか、と僕は思った。

僕はこれまでの人生の中で、
自転車に乗った人にあいさつされたことも、若いお姉さんにあいさつされたこともなかった。

それ以来、河和田では、
お昼だろうと、向こうから自転車が来ようと、若いお姉さんが来ようと、
僕からあいさつをすることにしている。

 
こないだのことである。
河和田でとある用事があったのだけど、日の落ちたころに暇になり、
ぼうっと散歩していたら、
「こんばんは」
あいさつをされた。

僕は今度は、かろうじてあいさつを返すことができた。
河和田を歩くときは油断しちゃいけないことを、よくわかっていたからである。
でも、でもである、あいさつをされようなんて、僕は全く想定していなかった。
なぜって、もう暮れであったし、いや、そんなことはどうでもよくって、
相手は、友達と遊んでいて、中学生くらいの女の子であって、
そしてなにより、彼女はsupremeの青いニット帽にミリタリーのアウターを着ていた。

ちくしょう、と僕は思った、思わず顔がにやけた。

もう日が落ちていようと、中学生くらいの女の子だろうと、supremeにミリタリーだろうと、
関係ないのだ、どうしようもなく、ここは河和田という場所なんだ、
それを僕はついに知った。
どんな時だろうと、相手が誰だろうと、何をしていようと、
河和田ではあいさつをされる運命なのだ、

こうして河和田に、誰にでもあいさつをするようになってしまったひとがまたひとり。
僕にとって、河和田はそんな街である。

 
僕は、誰からでもあいさつをされるまちを作る方法を知っている。
それは、自分からあいさつをすることである。

 

 

 
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