森 | こんばんは。 まやと初めて話した時のこと覚えてる? 俺が「まやはどんなまちが作りたいの?」って聞いたら、まやが「私は共感しあえるまちを作りたい」って言葉を伝えてくれて。それがずっと印象に残ってて、ずっとまやと対談してみたいと思ってたんだよね。 今日はよろしくお願いします。 |
まや | 私も楽しみでした。よろしくお願いします。 |
「まちづくり」がみえないまちづくりがしたい。
森 | JK課でも、いろいろ新しいイベントの企画してるっていう話は聞いてるけど。 まやはいま、どんなことがしたいって思ってるの? |
まや | 週末の普通の日曜日を、市民の人たちが「まちづくりの日」みたいにリメイクしてくれたらなっていうのはすごい思ってて。 それくらい、まちづくりがかしこまったものでもない、ちょっと休日にできるようなもの、っていう感じで市民の人の間で広まってくれたらなって。 そのために何をするのかとかは、全然考えられてないけど。 |
森 | 「まちづくり」がもっと身近な存在になったらいいなってことだよね。 |
まや | そう。 そもそも私たちには、まちづくりはゆるいものっていう認識があるじゃないですか。それは、「まちづくり」っていう言葉が、それまでの「都市計画」っていう言葉に対応して出てきた、っていう文脈を知ってるから。 都市計画は、これまでのハードやインフラを整備するための堅い部分だった。それに対して「まちづくり」はそうじゃない、ソフトだったり、ゆるい部分を担っていたはずなんです。 でも、最近思ってるのは、普通の人から見たら、「まちづくり」っていう言葉もカタいものに違いないんだろうな、っていうことなんです。そこに、私たちと、普通の人とのズレがあるなって。 だから、そのズレをなくして、まちづくりの活動をするとき、「普通の人」も、心から行きたい!って、自分から積極的に思える活動を作るっていうのが、今考えてることです。 |
森 | それは、「まちづくり」っていう言葉を使わない方がいいっていうこと? |
まや | 私たちの側から見たら、したいのは「まちづくり」。でも、普通の人が見たときに、まちづくりって言葉を見たら、面倒だなあって感じると思う。 だから、最初のきっかけは「まちづくり」じゃないほうがいいんじゃないか、って最近思う。 |
森 | わかる! 最近、同じようなことを考えてた。 普通、何事にも表と裏ってあると思うんだよね。でも、まちづくりって、その裏の部分がそのまま表に出ちゃっているような気がしてて。 例えばさ、普通のビジネスを考えてみてほしいんだけど。 それがなぜかまちづくりになった瞬間、「このイベントではまちづくりをやります!みなさん、まちづくりに興味があるでしょう、さあ来てください!」っていう風になってる気がして。 |
市が市民に巻き込まれる。
まや | いま、「市民協働」なんて言葉がある中で、行政が市民にどうやってまちづくりに参加してもらうかって考えてるじゃないですか。 なんだけど、鯖江市は「市民に参加してもらう」っていう表現より、「市民を巻き込む」って表現をしていて。自分はそれ、すごい気に入っているんです。でも、まちづくりの理想はもっとその先にあると思ってて。それは、「市が市民に巻き込まれる」っていう状態。 |
森 | 巻き込まれる? |
まや | そう。 JK課に入ってみたら、私が「こういうことやりたいです」って市役所の人に言ったときに、「いいんじゃない?」ってみんなが共感してくれたんです。 今の若い人たちに限らず、現代の人たちは、自分の考えに共感してもらう、認めてもらうっていう、自分の居場所がある状態をすごい必要としてる。 もともとそういう市民の希望を叶えるために市の職員は働いてくださっているはずなんだけど、今はどうしても自治体が表立ってまちづくりでもなんでもしちゃってる。 |
森 | なるほど。 でも、それを実現するためには、いまの「市民が市に動かされている」状態から、「市が市民に巻き込まれる」状態を作り出すために、まずは自治体側、あるいは「まちづくりをする僕たち」側が何かしらの動きを起こさないといけないと思う。それについてはどう考えてる? |
まや | 「まちづくりをする」とか、「してもらう」って感覚で捉えてしまうこと自体が、意識の持ち方を変えてしまうんじゃないかと思う。 っていうのは、いま市民が何気なくやってることがまちづくりだって部分もあるじゃないですか。だから理想としては、「まちづくりをする!」じゃなくて、自分たちが勝手に、楽しんでやってたことが結果としてまちづくりになってたらいいなあと思うんですよね。 だから、自治体と市民って、どっちが上だとかはなくて、自治体が市民に何かしてもらうために行動する、っていうのも違う。自治体と市民って完全にフラットな関係であるべきだと思う。 |
「何もないままにする勇気」
森 | うーん、なるほど。 自治体と市民っていう二項対立で捉えて、どっちがまちづくりの主体だとか、そういう考え自体が幅を狭めてしまうのかもね。 自治体だからどう、市民がどうって話じゃなくて、誰かが「しかける側にまわる」ことができれば、それでいいというか。そういう意味ではまや自身も、自治体とか市民っていう枠を超えて「しかける側」なんだろうね。 |
まや | うん。今はどうしても、まちづくりって自治体主導になっちゃっていて。 でも、まちづくりを自治体が考えて、自治体がしてってっていう風になると、どこにも市民の入り込むスペースがないと思ってる。 そうじゃなくて、自分らしさを加えていける「余白」がまちづくり自体にあればいいなと思うんです。 その余白のなかで、市民の人たちが、自分たちでまちづくりしているのを、遠くから見てたら楽しいだろうな、っていう思いがあります。 |
森 | あーめっちゃわかる。「何もないままにする勇気」!
何もないのって、すごく楽そうに見えて、実は何が起きるかわからないから、すっごく不安なんだよね。 でも、実はJK課もゆるい移住も、テキトーなように見えて、裏のコンセプトとかって結構しっかりしてるよね。 |
まや | うん。 表面的にはすっごいシンプルな場なんだけど、裏は考えこまれてて、すごいシンプルなのに、なぜか場自体はできあがっちゃってる、っていうのは、場としてすごいいいなと思う。 その場がどういう形になるかは、集まった人によって変わってくる。まちづくりも形ってものはないから、そのくらいがちょうどいいのかなっては思う。 |
後編はこちら。
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